第15章 1-47 シモンの光栄 [マルコ伝]
第15章にて、イエスはピラトに引き渡され、十字架上で他界する。
イエスはゴルゴダの丘へ自ら十字架を背負って歩いていたところに、
シモンという男性が現れたのが21節。
21
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A certain man from Cyrene, Simon, the father of Alexander and Rufus, was passing by on his way in from the country, and they forced him to carry the cross.
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
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黒崎註解
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少なくともシモンは主イエスの十字架を負うの光栄を持つことができたのは兵卒に強いられたからであった。強いて十字架を負わしめらるることは苦痛ではあるが幸福である。
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ここで、黒崎は使った単語は「光栄」「幸福」だった。
恐らく、シモンがイエスの十字架を負ったことは、この時から「光栄」なことであり「幸福」なことであったのだろう。
2000年弱の間、この感覚を共有していた人が無数にいたのに、
こう考え感じるまでに、私は、どれだけの時間がかかったのでしょう。
聖書を読む機会も時間もあったのにもかかわらず、今になっています。
イエスはゴルゴダの丘へ自ら十字架を背負って歩いていたところに、
シモンという男性が現れたのが21節。
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A certain man from Cyrene, Simon, the father of Alexander and Rufus, was passing by on his way in from the country, and they forced him to carry the cross.
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
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黒崎註解
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少なくともシモンは主イエスの十字架を負うの光栄を持つことができたのは兵卒に強いられたからであった。強いて十字架を負わしめらるることは苦痛ではあるが幸福である。
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ここで、黒崎は使った単語は「光栄」「幸福」だった。
恐らく、シモンがイエスの十字架を負ったことは、この時から「光栄」なことであり「幸福」なことであったのだろう。
2000年弱の間、この感覚を共有していた人が無数にいたのに、
こう考え感じるまでに、私は、どれだけの時間がかかったのでしょう。
聖書を読む機会も時間もあったのにもかかわらず、今になっています。
2014-10-17 23:00
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