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第10章 1-33 単なる形式 [コリント前書]

犠牲に捧げられた動物を食べることは、およそ全世界で見られたことなのでしょう。
パウロはイスラエルを例にだした。

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Consider the people of Israel: Do not those who eat the sacrifices participate in the altar?
肉によるイスラエルの人々のことを考えてみなさい。供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか。
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そこで「祭壇」として「エホバ」としなかったのは、
すでに、外形の形式的な儀式になっており、内面的な信仰ではなかったからのようだ。

ここで、本当は敬虔な信徒もいたかもしれない、という疑問が生ずるが、
本当に敬虔な信徒は、イエスがメシアだと理解できたはず、というのが、
共通理解のようだ。
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