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【Ministry】シリーズ・日本の説教者(4)岩島忠彦(カトリック・イエズス会司祭) [Kirishin]

(2010日)「キリスト教的現実主義」のくだりに、その通りだと思いました。
昔は、信仰が現実を直視できない弱い者が抱く妄想だと捉えてましたが、
そうではなかった。

自殺が不可で生きざるを得ない以上、
どうしても考えるのでしょう。

その他、独身の独自の霊性や、「キリストの意味」のくだり等、
さすがに原理的であり、そうなのだろうと同意します。




----memo

説教は仲介
35-40分話していた 

カトリックは型が決まっている

宣教というのは経験や信念を語るものではない。
御言葉を話すこと

自分に受け止めたことと説教する相手と共有できるもの

1つだけ 2つ以上あってはいけない

復活節 2か月続く 
 言うこと無くなる キツイ

 遠藤周作にも私にしても 自分に傾いている?

キリスト教的現実主義
 
 信仰ある人間でないと過酷な現実は直視できないのではないか

独身 長い間つちかわれたもの 独自の霊性
規定は外してもいいかもしれない

現代における教会 
  型ができすぎている
  単純化されすぎている

 次世代へのメッセージ

 信仰のために命を使おう そういう潔さを見つけにくい
 
 キリストを偉人にする風潮

 キリストの意味を自分で本当に大切にしてなければ、
 聖職者になるべきでない
 その信念 今日少々緩んでいる

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