自分を深く知るために(20) - 自分の時を待つ [Ecclesia Catholica]
(2019)
私は胡坐で背筋を伸ばして呼吸してみました。
いつもと違い深い感覚で時を過ごしました。
自分の時を待つ、というのが深いですね。
私は七五三で、恐らく5歳でのお宮参りのことを覚えていますが、
片道20分位歩くので嫌だったのですが、儀式が済み、
父に「本当は神様なんかいないが、昔からあることだから、行くだけ」
と大人の本音を言われ、それが無神論者となったきっかけなのでしょう。
成長する過程で、親戚や家族の死を経験し、「南無妙法蓮華経」とお経を日課とするようになり、神社参拝も習慣となる。
そして、キリスト教への改宗となった。
七五三の原体験で無神論者になり、失敗を重ねたことが大事で、
この原体験がなければ、周囲に普通に溶け込めて円滑に人生が過ごせたのやもしれません。
この件で父を恨んだことがありましたが、聖書と出会うこともなかったのでしょう。
----memo
養成講座
どのような状況でも 自分を生きる
良かったと思えるように
傾聴は聴くというスキルだけではなく、相手の満足
傾聴は、まず自分を聴くことから
心の中に平安のスペースを作る
私は胡坐で背筋を伸ばして呼吸してみました。
いつもと違い深い感覚で時を過ごしました。
自分の時を待つ、というのが深いですね。
私は七五三で、恐らく5歳でのお宮参りのことを覚えていますが、
片道20分位歩くので嫌だったのですが、儀式が済み、
父に「本当は神様なんかいないが、昔からあることだから、行くだけ」
と大人の本音を言われ、それが無神論者となったきっかけなのでしょう。
成長する過程で、親戚や家族の死を経験し、「南無妙法蓮華経」とお経を日課とするようになり、神社参拝も習慣となる。
そして、キリスト教への改宗となった。
七五三の原体験で無神論者になり、失敗を重ねたことが大事で、
この原体験がなければ、周囲に普通に溶け込めて円滑に人生が過ごせたのやもしれません。
この件で父を恨んだことがありましたが、聖書と出会うこともなかったのでしょう。
----memo
養成講座
どのような状況でも 自分を生きる
良かったと思えるように
傾聴は聴くというスキルだけではなく、相手の満足
傾聴は、まず自分を聴くことから
心の中に平安のスペースを作る
2019-10-18 01:57
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