SSブログ

「呪うことを愛する人」詩篇109篇17節18節 [雲の柱・火の柱]

(2018日)呪いを身にまとっている人と聞いて、
真っ先に思い浮かんだのが 黒い手袋を噛む片平なぎさ だった。
確か交通事故でピアノを弾けなくなって恋人だった風間杜夫を恨んでいた。
「あなたのセイよ」と責め続けた。おぞましく気分が悪くなるシーンだった。
『スチュワーデス物語』でした。


他者を呪っても何もいいことはないということでした。

分かってはいても文句が出る時はある。
が、やはり無理やりでも感謝すべきというのはその通りでしょう。





----memo


cも肉的でもあるので、人を呪うこともある

呪いを身にまとっている人


エペソ書5
禁止事項
「むしろ感謝しなさい」  これが大事

感謝によって神の前にいる人か、否か

獄中からの賛美 本

無理やりでも神に感謝しましょう。
それほど感謝の力は大きい
とにかく感謝しなさい
神への礼拝

ガラテヤ5-19-21

cにもあるので気をつけましょう


nice!(0)  コメント(0) 

キリストの香り(8) - 自分を愛するということ [Ecclesia Catholica]

(2011日)

現在の自分を否定し、、
自分が自分を蔑んでいるというのは不健康です。

高見順さんの詩をご紹介されました。

『われは草なり』

逞しく生きること、成長過程の自分を肯定すること、
同じ緑だが、美しい緑になろうとする精神に、
花や実とは違う美が宿っていました。




---memo

第一の掟 神を愛せ
第二   隣人を自分のように

 エゴイズムの自分ではなく、卑下する自分 パッとしない自分

 自分を好きになること

 自分は2人いる 
   ありのまま有機体の自分
   望む自分 他人に見てほしい自分

    よそ行きの自分は疲れる

  普段着の自分でいる が 洗う
   成長していく自分 不完全だが肯定する自分

  ヴィヴィアンリー
   手鏡 割る

  高見順 「われは草なり  緑なり 」
   詩

     草 伸びる力 成長する力ある
        美しい緑になろうとする

nice!(0)  コメント(0) 

カトリックの教え(2) - 神の存在 [Ecclesia Catholica]

(2006日)ハヤット神父は目に見えない神さまを知る方法は3つあるとされる。
体験、推理、信仰、だそうだ。

推理で、時計を作ったのは時計屋さんで、
宇宙という秩序を作ったはのは、神様で時計屋さん、だとされる。

なるほどである。

また、毎日散歩され、できるだけ挨拶し、赤ちゃんがいれば握手されるそうだ。
私が同じことをすれば、通報されるでしょう。




----memo

完全な幸せ

少しではなく、完全な人に会わないと感じない
人間関係では無理

神さまと共に永遠の幸せを感じることができる

目で見えないものを知る方法はある
3つ

体験 推理 信仰

体験 五感 
推理 時計を作ったのは時計屋さん
  大宇宙は大きな時計 で 秩序を作っている

  神さまは時計屋さん


 毎日散歩する
   できるだけ挨拶する
         赤ちゃんの手を握る
nice!(0)  コメント(0) 

ケルト正教会 [教会]

ケルト正教会は、カトリックから派生した正教会で、東方正教会ではないそうだ。
フランス正教会とガリア正教会で、西方正教会として相互聖餐のようである。

詳細は分かりませんが、綺麗なところです。



nice!(0)  コメント(0) 

「神の報復の時代」第2テサロニケ1章6節から10節 [雲の柱・火の柱]

(2018日)現代は知ろうと思えば神を知ることができる。
玉石混交の書物や情報が溢れているが、
求める心があれば、やがて探し出すことができる。

であるのに「知らない」と言うことは神様の報復対象となる。

この大患難期や死後の話は整理して理解できてないので、
学習を重ねる内にフッと分かるだろうと楽観視したいと思います。



----memo

大患難期に報復される

 cは祈りの炎を

迫害している者は罰を受けると、される者に言っている


ハデス 厳密に言うと一時的な場所 ワンクッションの場所

神を知らない人にも報復される 反キリストに糾合 666の印をつける

アテネの人 異教ではあっても神を探求している人
   それでも知らないと言っている人たちに報復される

 知っているのに知らないと言っている人たち
  偶像崇拝の惑わしを与える

今、恵の時代で神を知る機会はいくらでもあるのに

 神は求める者には出会って下さる

見えないところも神が支配して下さっていることを
信仰によって受け止めて、この神に信頼して祈る


nice!(1)  コメント(0) 

カトリックの教え(1) - 人生の目的 [Ecclesia Catholica]

(2006日)ハヤット神父は1949年に来日され60年間、日本人に福音を伝えてくださった。
先日、1981年の日本テレビ放送のマザーテレサへのインタビュー動画で神父の存在を知る。

私は、聖ニコライ同様、わざわざ海を渡って日本に骨を埋めて下さった聖職者の方には、心から感謝したいと思います。


今回、ハヤット神父は、第1回目の演題に「人生の目的」とされた。

神父は、小さい頃、貧しさからアイスクリームをたくさん食べることが幸せと渇望した。
が、数年で無制限に食べる機会に恵まれ、見ることさえ嫌になったという。
そこから、「物」を「幸せ」の目的にすることは間違いだとされる。


が、それは違うと私は思いますね。
アイスクリームを複数個ほぼ毎日食べ続けても私は嫌になりません。
昔のことですので飽きたのも仕方ないですが、
アイスクリームの進化と多様性にも敬意を払うべきでしょう。

が、続きが楽しみですので、拝聴いたします。




----memo

目的  目 心の目 将来のことを見る

大きな目的 結婚 卒業 外国への旅行

小さなことも目的 

 人生そのものの目的は 人は考えない
  一番大事なこと

「幸せ」
  たくさんの欲しい物は 小さくすぐ終わる

 この世の中のものは 長さ幅高さ は 限られている
    それで満足しようと思うなら失敗する

 人との関係 愛する人と  が死 

 死んでから神さまから下さる 無限の幸せ それが目的
nice!(0)  コメント(0) 

キリストの香り(7) - 真の優しさ [Ecclesia Catholica]

(2011日)シスターが紹介されたのは『プレイバック』という作品のセリフで、

「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」

の原文を訳された。

その他、フロムやマチルダと紹介され、
「愛」というのが特定の人対象でないことを分かりやすく解説くださる。





----memo


レイモンド・チャンドラー

「人間、逞しくなくては生きていけない、
  優しくなくては生きる資格がない」


日本、勝ち組・負け組

「善く生きる力」が必要

フロム 『愛するということ』
 特定の人対象ならエゴイズム

「優」

マチルダの詩
nice!(0)  コメント(0) 

キリストの香り 6 『ごたいせつの愛』 [Ecclesia Catholica]

(2011日)最初に神が愛を与えた。
この神の愛があることで、人は丈夫に生きていける。

神さまはヤコブを愛した。

「生きているから価値がある」

をまず確認しなければならない。
が、神の愛がなければ丈夫にならないのでしょう。

深いお話でした。



-----memo

自殺 年約3万

講義 後メモ提出

CMの「命が大切」というスローガン 
「あなたが大切だ」という言葉で丈夫に生きていける

30修道院前 アメリカ 夜学 教務部長

1549 宣教師 「愛」でなく「ご大切」
  
 「生きているから価値がある」
nice!(1)  コメント(0) 

「王である祭司」第一ペテロ2章9節10節 [雲の柱・火の柱]

(2016日)「王たる祭司」としての自覚がないが、
旧約時代に大祭司に可能だったことが、
クリスチャンとなり、万人が可能となった。
祭司を職業としていなくとも、誇り高く祭司と自覚する。
それが、クリスチャンの次の段階なのやもしれません。



----memo

至聖所 大祭司のみ入れる 年1 民族的悔い改め

15㎝ カーテン 上から下 


新約となり、いつでも cは王たる祭司

王は支配するという意味で、
神の宮である自分を支配しているか


nice!(0)  コメント(0) 

使徒の働き(15)―サンヘドリンの前に立つペテロとヨハネ(1)― [Harvest Time Ministries]

(2018日)イエスが、人類の罪を贖うため己を生贄とした。
よって、イエス以外に、この目的と手段を採用していない以上、
イエス以外に救いの道は無いとなる。これが正しいのでしょう。

以前は、他人のために自己を犠牲にした人の死後も救われると考えてましたが、
誰かに生まれ変わって再度のチャンスが与えられるのだと暫定的に理解しました。

聖母マリアに「お願いごと」をする映画のシーンもあるが、
神さまは、その願いをマリアに代わって叶えてやる意思と能力が
あり、それは聖書に書かれていない神様の権限なのでしょう。

「イエス以外に救いの道は無い」という原理は真だが、
運用は幅広く包括的に行うのも神様の寛容の範囲なのやもしれません。



----memo

祭司2万

サドカイ 新ローマ 世俗的ユダヤ教
  天使 悪霊を否定
 魂の永遠性 復活の否定

Scroggie
祭司 宗教的非寛容の象徴
宮の守衛超 政治的敵意の象徴
佐渡会人 合理主義的不信仰の象徴
nice!(1)  コメント(0)