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「契約の塩」マルコ9章49節50節 [雲の柱・火の柱]

(2019日)

私たち自身が塩であり、神の奇跡であった。
住んでる場所から嘆くこともあろうが、
火の試練であり、その試練を受け取ることが、
キリストに迎えられることだった。

また、神さま焼き尽くす火であられ、
私たちの内にいてくださる。
その神さまが共にいてくださることを忘れると、
火の試練にやられる、心が負け現実に負けてしまうのでしょう。

内にいてくださる神さまを焼き尽くす火と考えることに
目から鱗でした。



----memo

固い契約 神様との絆

なりなさい ではなく すでに塩そのもの

聖霊によらなければ主とよべない

私たち自身が神の奇跡

何か私たちの塩気を増すことができるのか

内に塩気 互いに和合しなさい
火である 

試練 その場の価値観との摩擦 火の試練

この試練を当然に受け入れる時、
キリストに迎えられる時 携挙 の時のために
火の試練を受け取りなりなさい

その試練が塩気を増す

別の火によって焼かれていた
 私たちの神は焼き尽くす火です
  その神さまが内にいてくださるので
 たとえ火の試練を受けたとしても 喜ぶことができる


キリストゆえに私たちは神の前にたてる

肉の見本はダメだダメだの連鎖
 イザヤ

が、イザヤは回復 焼き尽くす火である方をまず第一にみつめる
  でないと、世の火にやられる


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