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「霊的な目で見たキリスト者」第二列王記6章13節から17節 [雲の柱・火の柱]

(2012日)

いわれのない困難があったとき、王たる祭司として祈る。
エリシャがアラム王の軍勢を祈ることで欺いた。
が、軍事的勝利ではなく、平和的に話をすすめた。

たった1人のキリスト者であったとしても、
神の軍団の一員であるとされた。
聞いたことのないフレーズでしたが、
かなり大事なところでしょう。




----memo

南北分裂直後の

北の預言者エリシャ 
アラムの王様怒ってエリシャを捕まえようと軍隊をだす

エリシャの従僕が目を開かれると
神の軍勢が多くいた

神に祈って、目をくらませて首都に連れてくる
北の王はやっつけよう が、エリシャは平和の内に

それ以降、争いはなくなった

神の国の大勝利

たった1人のキリスト者でも大軍勢

キリスト者1人1人に天使がついている

パウロは「み使いにも人々にも見世物になった。」と言った。
が、


いわれの無い困難がきた場合
 その時こそ 王である祭司として役目を果たす 祈る

神の軍団の一員
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