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「イスラエル再建と背教の時代」イザヤ書66章5節から8節 [雲の柱・火の柱]

(2021日)


冷ややかに嘲るクリスチャンということで、いささかズレますが、
また昔のことを思い出しました。
例の牧師の件ですが、(↓参照)、最近では私も落ち度があったと反省しております。
https://vbc-p.blog.ss-blog.jp/2019-08-30

服装がユニクロだったことがやはり嘲られる原因の1つとなったのだと思います。
2015年末から16年ですが、当時はウィグルと結びつけておらず、
認識が浅く脇が甘かったということなのでしょう。
しまむらを知らなかったのが悔やまれます。

が、侮った相手に精神科で診断したか聞くというのも人間として論外でしょう。
当時は日本基督教団大阪のぞき教会(仮)でしたが謝罪せず異動されたようです。


では、私も同じような過ちをしていないのかが問われます。
確たる根拠無く言っていい事柄なのかということです。
あるいは、根拠があったとしても聞いていいことなのかも問われます。

例えば、数年前、不倫報道がでたタレント議員が「一線は越えていない」と弁明。
手を繋いでいただけだとしたが、これは信じる方が愚かでしょう。

あるいは、1億5千万を税金から渡した相手との取り半説がある。
これを根拠がないと否定する保守言説があるが、思考停止な気持ちも分からなくもない。
が、通常の10倍という桁違いを考えずに「手を繋いだだけ」と信じるようなものなのでしょう。


確たる証拠が無くとも合理的な推論で言わなければならないこと、
あるいは、合理であろうがなかろうが言ってはいけないことを考えるのは、
難しいですね。






----メモ


携挙→ヤコブの苦難

陣痛 コール

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