SSブログ

第28章 1-20  父と子と聖霊の名によって [マタイ伝]

18-20
-----
Then Jesus came to them and said, "All authority in heaven and on earth has been given to me.
Therefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit,and teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age."
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
-----

イエスは復活後、ガリラヤで弟子たちを迎えた。
信じない者もいたようだ。見えなかったのだろう。

これまでユダヤの民に限られていた活動が、
この言葉により世界宗教への道へと国際性を帯びる。

この神秘的な出来事を、4福音書は異なった視点で描いているようだ。
各々の違いを了解しつつ1つの聖書にまとめている。
また、この文章にもあるのに、どうして三位一体を否定するのか私には理解できない。

複数ある部分的なコトを一体であると観念すればいいと思うのですが。

第27章 1-66 ダビデの子、死す [マタイ伝]

46
-----
About the ninth hour Jesus cried out in a loud voice, <"Eloi, Eloi, lama> --which means, "My God, my God, why have you forsaken me?"
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
-----

詩編22の冒頭部分を、イエスは息を引取る間際に歌われた。
ダビデの賛歌をイエスはもちろん知った上で歌った。

22節
「わたしの魂を剣から救い出し、わたしの身を犬どもから救い出してください」

ここまで歌う力のないことも承知していたのだろう。


30節より
「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に伝え、
 成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう。」

と締められる。

「ダビデの子」と言われていたイエスは、最期の瞬間、
口にされる。


「明日のジョー」の最期、絶望の死ではありませんでした。
ジョーは燃え尽きましたが、イエスは、復活と再臨を見据えていました。
ダビデの詩の冒頭部分で躓くのはナンセンスですね。

ここでジョーをもってくるのも、まぁ良しとしてください。

第26章 1-75 再臨宣言 [マタイ伝]

63-64
-----
But Jesus remained silent. The high priest said to him, "I charge you under oath by the living God: Tell us if you are the Christ, the Son of God."
"Yes, it is as you say," Jesus replied. "But I say to all of you: In the future you will see the Son of Man sitting at the right hand of the Mighty One and coming on the clouds of heaven."
イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」
-----

イエスが捕まり大祭司に詰問される。
イエスが答える。十字架上での死を覚悟して言う。
神の子であると認める。聞いた者は信じるか、イエスを涜神者とするか2択を強いられる。
この期に及べば、群集も大祭司や律法学者らと同様、イエスを罵る側に立つ。
再臨について述べる。この段階での意識はしっかりしており、適当なことを言ったのではなく、明確な意識の下でイエスは答えている。

ここの全能の神や雲というのが、物理的な次元でのものでなく、各人の脳が再現したイメージなのだろうと私は解釈する。雲は飛行機なのかもしれない。
いずれにせよ、イエスは再臨すると死を前にして確信を語った。

第25章 1-46 タレント [マタイ伝]

30
-----
And throw that worthless servant outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth."
この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』-----

エライ言われ方をしている僕はいったい何をしたのか?

この章では、キリスト再臨に際し人が振り分けられることを譬を持ちいて説明している。主人は3人の召使に能力に応じて、5タレントと2タレント1タレントを預けて旅にでた。
5タレント預かった者は運用し10タレントにした。
2タレントの者は4タレントにした。
1タレントの者は、失うことを恐れ地中に埋めて主人に返した。

主人は前2者を誉め、銀行に預けて利子を得ることすらしなかったと1タレントそのまま返した召使を「You wicked, lazy servant! 」怠け者で悪いと罵り、
冒頭30節のごとく追い出された。


このようにキリスト再臨にて暗闇に落とされるので、
各自が各々の与えられたモノを運用しなさいということだ。
聖書には「weeping and gnashing of teeth」泣き喚いて歯ぎしりするが多い。
シビアですね。

第24章 1-51 ガンダム [マタイ伝]

35
----
Heaven and earth will pass away, but my words will never pass away.
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
----

この章は、キリストの再臨を扱う。
にわかに信じがたいことであるが、この35節は非常に印象に残る。

イエスの言葉は不滅だと。

私も思う。
アニメの世界だと近未来には宇宙植民地の時代となり、西暦が宇宙世紀となるものがある。
まさに機動戦士ガンダムで、私はこのアニメは非常に好きなのだが、
ただ1点、十字架に祈りを捧げた時代を過去のものとして扱ったのに苦笑する。

そう、不滅なのです。

第23章 1-39 殺してみろよ [マタイ伝]

30-32
------
And you say, `If we had lived in the days of our forefathers, we would not have taken part with them in shedding the blood of the prophets.'
So you testify against yourselves that you are the descendants of those who murdered the prophets.
Fill up, then, the measure of the sin of your forefathers!
そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。
先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。
------

この章では、律法学者やパリサイ派へのイエスの厳しい詰問が続く。
彼らは外形の形式や細部の規律に拘るあまり、真実を言う者や預言者を迫害する。
そして死して後に称える偽善を行う。
しかし目の前にいるイエスが「神の子」なるワザを見せようとも信じようとせず、
血を流す側にたとうとしながら、口だけは偽善を言い続ける。

イエスは言う。「先祖の罪の秤を満たせよ」
言い換えると、
「先祖が行ってきた罪を私を殺すことで完成させたらどうだ?」

つまり、「殺してみろよ」となる。


日本でも、生きている者を軽視し死んでから祀って祟りを鎮めようとするのは変わらない。道真にしろ、靖国に眠る「英霊」にしろ。
仏教的に表現すれば、「死んだら線香くらいあげたるわ、あははは」
という態度なのやもしれない。

偽善、欺瞞であり、そこには、神、正義、愛、といったものは何もない。
虚像であろう。

第22章 1-46 復活 [マタイ伝]

30-32
-----
At the resurrection people will neither marry nor be given in marriage; they will be like the angels in heaven.
But about the resurrection of the dead--have you not read what God said to you,`I am the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob' ? He is not the God of the dead but of the living."
復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
-----

この章で一番大切なのが、「復活」について述べた箇所だろう。
夫婦が復活した場合の関係を聞かれたイエスの返答が30節から。

復活の後には、婚姻の関係はなく天使のようになるようだ。
神との関係では、みんなの神ではなく各々の神であって、生きている者たちの神なのだと。この3節につきるのだろう。


第21章 23-46 サボタージュ [マタイ伝]

31
-----
"Which of the two did what his father wanted?" "The first," they answered. Jesus said to them, "I tell you the truth, the tax collectors and the prostitutes are entering the kingdom of God ahead of you.
この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
-----

父親が、息子にぶどう園で働くよう言いつける。
兄は「いやです」と拒否したが、結局、考え直して仕事をする。
弟は「はい」と承諾したが、行かなかった。

31節は、イエスに聞かれたパリサイ派や祭祀長らの返事。

徴税人や娼婦たちは、一旦拒否した兄のように後で悔い改め救われるが、
パリサイ派や祭祀長といった権力機構の人間は弟のように、
表面上は従順であっても内実が伴わないので、後塵を拝することになるようだ。

そういう牧師が頭に浮かぶが、それ以上はやめとこう。

ちなみに英語のsabotage には「サボる」という意はなく、器物損壊を意味するようだ。

第21章 1-22 無花果を枯らす [マタイ伝]

19
-----
Seeing a fig tree by the road, he went up to it but found nothing on it except leaves. Then he said to it, "May you never bear fruit again!" Immediately the tree withered.
道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。
-----

彼の死が近づいてくる。最後の1週間が第21章からはじまる。
イエスはこれまで人を救ってきたが、ここにきて、無花果の木を枯らすという暴挙にでる。
呪いの言葉を発する。

この解釈に、無花果を当時のユダヤ人のことを示しているようだ。
神の審判があることを示すため、1本の木を犠牲にしたようだ。
イエスの怒りは神の怒りであって、神は愛からの救いもするが、
怒りから裁きもするということを見せたようである。
私もこの考えに同意したい。

第20章 1-34 身代金 [マタイ伝]

28
-----
just as the Son of Man did not come to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many."
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
-----

前節で、「偉い人になりたければ僕になれ」とあり、この節につづく。

「人の子」をイエスは自称する。
(これは「神の子」とダイレクトに言うと危害があるためのようだ)
つまり、神の子である自分は、多くの人(人類と言わず謙遜やもしれない)のため犠牲になるべく地上にやってきたのだと。

事実、イエスの死は人類の精神史に刻印され、今日の文明や幸福と呼ばれるものの源流にあるイエスの存在感は他の追随を許さない。

この節の存在が、自らを神に委ね社会的貢献に身を捧げた方たちを生み出したのやもしれない。