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第7章 1-37 モーセ [マルコ伝]

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For Moses said, `Honor your father and your mother,' and, `Anyone who curses his father or mother must be put to death.'
モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。
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十戒の『父と母を敬え』から、モーセは演繹した。
ここでは口で罵ることが死刑となっているが、
これは、文字通りモーセが考えていたのだろうか。

紀元前1750年頃のバビロニアで書かれた「ハンムラビ法典」では、
「目には目を」という同害報復は同身分間の者だけのようだ。

聖書では身分間の違いはないが、神と家族間の倫理的な罪は重く設定されているようだ。

現代日本では尊属に対する重罰は無くなったが、この時代ではまだ当然だろう。


この場合のモーセはオーバーに言っているだけと思うのですが、、。

mose.JPG

ホセ・デ・リベーラ作『モーセ』(1638年)

第6章 1-56 キリスト者はこの世の良心なり 黒崎解 [マルコ伝]

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On hearing of this, John's disciples came and took his body and laid it in a tomb.
ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
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私は黒崎幸吉先生の註解で学んでいますが、この箇所に感銘いたしました。
完全に同意します。

イエスの十字架での死がなければ、今日にキリスト教はなく、
ヨハネを殺めるごとくの邪悪な想念がほぼ完全に支配しているだろうと思います。

イエスの復活により使徒たちが布教し、様々な経緯を含むものの、
今日の社会に良心が一定確保されているのは、
イエスの無限大なる功績であり、どれだけ感謝しても足りるものではありません。


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要義2 [キリスト者はこの世の良心なり]たといキリスト者はこの世において迫害せらるるの運命にあり、ヨハネのごとく、暴君や姦婦の手に殺さるるごときことありとも、キリスト者の存在はそれ故に無意味であるということはできない。キリスト者はこの世の良心である。この世はキリスト者の故にその罪を感ぜしめられてそのために苦しむ。良心なき者は自己の悪に関して何らの悩みもない、これと同じくキリスト者なきこの世は悪に対して何らの苦悩も反省をも持たない。かくして益々悪より悪に突進する。もしこの世が悪の中に亡び去ることを免れているとすれば、それはキリスト者がその良心となっているからである。少なくともかくあることがキリスト者の立場でなければならぬ。
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まだ読んでませんが、いずれ必ずでしょう。そんな気がします。

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第5章 1-43 ヒーリング [マルコ伝]

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When she heard about Jesus, she came up behind him in the crowd and touched his cloak
イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
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第5章は心霊治療に特化した章である。

12年間出血に苦しんでいた女性は、イエスの服に触れるだけで治ると信じた。
そして治った。

これまでイエスの能動的な行為によって癒された例ばかりだったが、
今回の例では、服に触れるだけで治った女性がいた。

イエスは言う。

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He said to her, "Daughter, your faith has healed you. Go in peace and be freed from your suffering."
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
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服に触れさえすれば治ると信じたからイエスの服を通して、
イエスの意思を介さずにイエスの内在するエネルギーを吸収したのだろうか。
群集の中にいるのでイエスの服に触れる人は多いだろうが、
それで治るとは考えていないので何もおきない。

しかし、この女性は信じたからこそ救われた。

驚くばかりだが、イエスが最高のヒーラーであり続けるのだろう。



第4章 1-41 Who is this? [マルコ伝]

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They were terrified and asked each other, "Who is this? Even the wind and the waves obey him!"
弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
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イエスが強風を止めた際の弟子たちの言葉。

日本語では敬語を使い長ったらしくなるが、英語の方が伝わってくる。

"Who is this?"

「なっ何者なんだ?」

なのだろう。ここまで従ってきて今さら何を驚いてるのだろうということだが、
「神の子」のようだ。

イエスに限らず天候を操作する人は日本でも中国でもいるだろう。

降参するしかない。

第3章 1-35 家族 [マルコ伝]

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Whoever does God's will is my brother and sister and mother."
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
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有名な箇所。母や兄弟がイエスの「仕事場」に来たらしく、
「ご家族の方が来られましたよ」とイエスは連絡を受ける。
それに対して33節で

"Who are my mother and my brothers?" he asked.

と、トボける。

35節で、群集に「真の家族」の演説をぶつ。

映画「イエスと二人のマリア」に登場する母マリアは、それを聞き喜ぶ。
イエスと目が合い笑う。

この頃の母マリアや兄弟はまだイエスを「神の子」とは考えていなかったようだ。
映画では曖昧だったが、家族や近所の者ほど狂人に見えるのだろう。


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第2章 1-28 何様? [マルコ伝]

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"Why does this fellow talk like that? He's blaspheming! Who can forgive sins but God alone?"
「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
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イエスが中風の人を治した時、 "Son, your sins are forgiven."
「子よ、あなたの罪は赦される」
と言ったのに対し、律法学者が思ったこと。
「お前、何様のつもりや?」と普通はそう思うだろう。

それに対して、実際に中風を治すという神業を見せることで有無を言わせなくする。

自分のことをイエスは、"the Son of Man"と自称し律法学者と対する。

それは、暗に "the Son of God"と言っている。
そこには、医者という次元ではない威風が行間からも滲み出てますね。

第1章 1-45 ペトロの家 [マルコ伝]

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As soon as they left the synagogue, they went with James and John to the home of Simon and Andrew.
すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
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マタイ伝には「As soon as」が使われた記憶はない。
どうもマルコは「すぐ」という意味の「euthus」という語を多用したようだ。
「速攻やで」と中学生のように言う性格なのだろう。簡潔な文章にも現れている。

さて、イエスがペトロの家に行ったくだりは、マタイ伝とルカ伝にもあり、
それらと違ってこのマルコ伝には、アンデレとヤコブとヨハネも一緒だと記されている。このことからペトロの口伝を三者が聞いたが、マルコが記憶力が良いのか、
マルコはペトロから直接聞いたかというような推測が可能ではあるが、
私の範囲を超えたことなので、後日、何らかの本から学ぶことになるだろう。

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