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第1章 新使徒をクジで選ぶ [使徒行伝]

使徒行伝を読むこととします。
通しで1回読んでいるので、英訳と合わせると2回は読んでいるので、
確認したいところを自由に読むことにします。


『ルカの福音書』の続編で確か医者だったルカが書いた。

確か、マルコが他の福音記者より後輩で、旅館の息子だったと記憶する。
その一番若いマルコよりも後輩のパウロがアンテオケ教会で活躍し、
ユダヤの割礼などの古い習慣と異邦人への適用で大胆に整理したと記憶する。


今回は、第1章で、イエスの昇天と、新使徒の任命だった。


26 NIV-JLB
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Then they cast lots, and the lot fell to Matthias; so he was added to the eleven apostles.
くじを引き、当たったのはマッテヤでした。こうして、ほかの十一人に、彼が使徒として加わることになりました。
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第28章 1-31 パウロ、ローマに到着す。(完) [使徒行伝]


30-31
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For two whole years Paul stayed there in his own rented house and welcomed all who came to see him.
Boldly and without hindrance he preached the kingdom of God and taught about the Lord Jesus Christ.
パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
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ローマは、使徒ペトロのエリアだったので露骨に組織を作るようなことはしなかった。
パウロはあくまで自宅に来た客人と話していたにすぎない。
そして、その間に各地に宛てた手紙が後世に残った。


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使徒行伝、終了しました。
今回、28章29回、9割6分。まずまずです。

ここまで来ました。
内容がパウロがローマに到着しての区切りに過ぎないので、
感無量とまではいかないですが、それでもうれしいです。


第27章 1-44 パウロの素人判断 [使徒行伝]

クレタ島南部の「良い港」を出航しようとしていたが、
パウロは危険を察知し訴えたが、聞き入れられなかった。

11
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But the centurion, instead of listening to what Paul said, followed the advice of the pilot and of the owner of the ship.
しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。
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当然だろう。

が、専門家、経験者や利害関係者とは全く無縁な人の方が当たる場合もある。

事実、大変なこととなった。

第26章 1-32 初期ローマ帝国と基督教 [使徒行伝]

以前、フェストスがパウロに「エルサレムで裁判を受ける気ないか」と問うた。
ユダヤ人への人気取りのためだった。
ローマ市民の場合は本人の同意が必要のため、聞かれたパウロは、
エルサレムでの法廷は拒否したが、皇帝への上訴を求めた。

そういう経緯があったので、パウロと話しをした王も無罪を理解できた。

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Agrippa said to Festus, "This man could have been set free if he had not appealed to Caesar."
アグリッパ王はフェストゥスに、「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と言った。
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初期のローマ帝国はキリスト教を公平に扱っていたようだ。
小規模なら目くじら立てる必要は無いのは当然だろう。

第25章 1-27 陰謀再び [使徒行伝]

2年前、エルサレムにいたパウロに対するユダヤ人の暗殺計画があった。
しかし、失敗だった。

現在、カイザリアで軟禁中だったが、

2-3
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where the chief priests and Jewish leaders appeared before him and presented the charges against Paul.They urgently requested Festus, as a favor to them, to have Paul transferred to Jerusalem, for they were preparing an ambush to kill him along the way.
祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
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彼らはしつこかった。
別にパウロへの仇討ちでもないのに、異常ですらある。

第24章 1-27 スケベ心 [使徒行伝]

パウロを拘束しているものの外部との接触は自由にさせていたので、
弟子たちが金を積むだろうとペリクスは期待した。

26
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At the same time he was hoping that Paul would offer him a bribe, so he sent for him frequently and talked with him.
だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。
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「下心」と自由に和訳しているようです。
逆に英訳するとしたら、こだわる必要無いと。

第23章 1-35 愚かな誓い [使徒行伝]


「腹が減っては、、、」と言うが、

12
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The next morning the Jews formed a conspiracy and bound themselves with an oath not to eat or drink until they had killed Paul.
夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。
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ところが、陰謀は空振りに終わる。
餓死者が出たとは書かれてないようだ。

結局、ウヤムヤで無かったことになるのなら、
感情の高ぶりで、無理な誓いをするなということでしょうね。

第22章 1-30 ローマ市民権 [使徒行伝]

エルサレムにて、パウロはユダヤ民衆のリンチにあう。
それを軍人が保護した形になったが、
パウロから詳細を聞くためムチを使おうとした。


25
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As they stretched him out to flog him, Paul said to the centurion standing there, "Is it legal for you to flog a Roman citizen who hasn't even been found guilty?"
パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」
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パウロは、ローマ市民権を持ち出し自分の身を守ろうとした。
当然言うべきことである。

ローマ帝国は属州や奴隷の存在を前提としているが、
この時代のこの状況下で、パウロ個人としても初期キリスト教会としても
どうしようもないことだろう。

植民地や奴隷の解放の問題は、まだ彼らの仕事ではなかった。

何事も時代の制約・限界を抜きにして、
現代の価値観で低評価を与えることは愚かでしょう。

第21章 1-40   キプロスの南は左だが [使徒行伝]

第3回パウロ宣教旅行の帰途、キプロス島の南側を通った。

3
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After sighting Cyprus and passing to the south of it, we sailed on to Syria. We landed at Tyre, where our ship was to unload its cargo.
やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。
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日本語訳では、「左」となっている。

新共同訳も口語訳も、塚本訳、前田訳と皆、「左」となっている。
http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?44+21+5-4-8


原典はどうなのか気になりましたが、
ネットで調べることが可能でしょうかね。
少し自分で考えてみます。

parl.JPG

第20章 1-38 パウロの覚悟 [使徒行伝]

エフェソでは2年数ヶ月滞在したようだ。
エルサレムに向かう道中、エフェソの長老を呼び出し、
別れを告げる。

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"Now I know that none of you among whom I have gone about preaching the kingdom will ever see me again.
そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。
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ペトロはイエスに同じように磔刑を仄めかされたが、
パウロは自ら悟っている。

宣教旅行中に自ら何度も危害を加えられそうになった経験もあるが、
自分がかつてしてきたことだから、殉教することがケジメだとも考えていたのだろう。

そういう人間だからイエスはパウロを選んだとも言える。


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