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第19章 1-41 魔術書 [使徒行伝]

アルテミス神殿のあるエフェソでは、かなり伝道は成功していたようだ。

魔術もあったと書いている。

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A number who had practiced sorcery brought their scrolls together and burned them publicly. When they calculated the value of the scrolls, the total came to fifty thousand drachmas.
また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。
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魔術師たちがパウロの宣教によって悔い改めた。
お金に換えることを拒否した。
これが、聖なるケジメというものだろう。

とはいうものの、焼き捨てずにどこかに封印していていたら、
歴史的な貴重品だと思うのですがね。

第18章 1-28 おのぼりさん [使徒行伝]

パウロの第2回宣教旅行終盤、舟でカイサリアに到着する。

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When he landed at Caesarea, he went up and greeted the church and then went down to Antioch.
カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。
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カイサリアから南東エルサレムまで約90km。

が、原文「 went up 」とあるが、一般的にはこれでエルサレムと理解するようだ。
東京のようなものだろう。

ここで日本語訳にエルサレムとなっているが、数ある聖書の写本の中で、
エルサレムと明示しているのは「ベザ写本D」だけだそうだ。

また、別の写本にはエルサレムに行けなかったと書いてあるのもあるらしい。



どうなのでしょう?
私は、パウロはエルサレムに行かなかった。
行けば、使徒たちと会い何か記録が残るのではないかと思うのですが。

カイサリアに到着後北上に1票投じます!

第17章 1-34 アテネ惨敗 [使徒行伝]

ギリシャ文化の本拠地ではさすがに苦しかったようだ。

様々な考えがあったようだ。

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A group of Epicurean and Stoic philosophers began to dispute with him. Some of them asked, "What is this babbler trying to say?" Others remarked, "He seems to be advocating foreign gods." They said this because Paul was preaching the good news about Jesus and the resurrection.
また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。
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2大学派が、エピクロス派とストア派
その他、アカデミー学派、逍遥学派、懐疑派は、少数派のようだ。


だそうだ。
概要を言えるようにはなりたいですね。

第16章 1-40 元祖ほめ殺し? [使徒行伝]

パウロは第2回宣教旅行のある街にて、占い師の女奴隷と出会う。
地元では評判だったようだ。

こういう能力者は直感的にパウロたちを見抜く。

そして、宣伝してくれた。

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This girl followed Paul and the rest of us, shouting, "These men are servants of the Most High God, who are telling you the way to be saved."
彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
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何日も続けたようだ。これを「誉め殺し」という。

パウロはとうとう18節で悪霊を追い出した。
結果、彼女は占い師を廃業することとなる。

が、これでよかったのだろう。
彼女の「誉め殺し」は助けてほしかったのだと理解するしかない。


ここまで露骨にやったのは「元祖」かもしれない。

今日現在のWikiの「ほめ殺し」では、記述されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%82%81%E6%AE%BA%E3%81%97


wikiに書いたことがないので書いてみたくなりました。
手続きが簡素ならいいのですが。

第15章 1-41 和解4条件 [使徒行伝]

当時、(AD50前後)割礼問題が生じた。
元パリサイ派のクリスチャンは、かつての伝統の影響も残っていた。
彼らは異邦人にも、モーセの律法や割礼を要求すべきだとした。

そこでアンテオケ教会にいたパウロとバルナバは、
偉いさんのいるエルサレムにお伺いに行った。

彼らは「信仰のみ」と確信していたが、
使徒会議を通すことでユダヤ主義を抑えたかった。

そこで、和解案がヤコブ(イエスの兄弟)から提案された。

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You are to abstain from food sacrificed to idols, from blood, from the meat of strangled animals and from sexual immorality. You will do well to avoid these things. Farewell.
すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」
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本当は、救いの条件は「信仰のみ」だが、
全くフリーにしてもユダヤ人と異邦人との両者は上手くいかないだろうし、
重荷にならない提案したということだろう。

この提案はGJだったが、現実にはなかなか守られなかったようだ。

第14章 1-28 ニックネーム [使徒行伝]

リストラの街で、使徒たちは崇められた。

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Barnabas they called Zeus, and Paul they called Hermes because he was the chief speaker.
そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。
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困りますね。
日本では、占領中にマッカーサーのことを「おやじ」と言ってたようだ。
占領が終わると、誰も何も言わなくなったらしい。


無理にでも親しみを込めて言おうとするのは万国共通のようだ。

第13章 1-52 マルコ暴れる [使徒行伝]

パウロの第1回伝道旅行からマルコ(ヨハネ)は途中で離脱する。

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From Paphos, Paul and his companions sailed to Perga in Pamphylia, where John left them to return to Jerusalem.
パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
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大喧嘩したという説がある。

マルコは「最後の晩餐」の家の息子で、イエスと比較的近い距離にいた。
しかし、12使徒のような最初からの弟子ではなく、若造だった。

そのマルコにとっては、イエスと会ってないが「イエスの声を聞いた」という後輩の年上にキレたのかもしれない。

マルコは福音書を最初に書いた人物だが、その理由は12使徒の権威への挑戦であるようだ。

エルサレム陥落(AD70)に触れられていないので、その前に書かれたと考えられるが、そこでイエスの弟子たちへの批判を文書にしている訳で、マルコの気性なのだろう。

VIVARINI, Bartolomeo
mark.JPG
Triptych of St Mark 1474 Panel
Santa Maria Gloriosa dei Frari, Venice

第12章 1-25  マルコの実家 [使徒行伝]

ペトロは脱獄に成功した。

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When this had dawned on him, he went to the house of Mary the mother of John, also called Mark, where many people had gathered and were praying.
こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
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最後の晩餐が行われたのがこの家らしい。
多くが集まれる家はここだけだからだそうだ。

マルコは12使徒ではなかったが、アレクサンドリア教会の創健者で聖人らしい。

正教会(ギリシャ正教)とコプト正教会(非カルケドン派)
の2派あり、共に初代アレクサンドリア総主教がマルコのようだ。

途中で別れたのだから当然ではある。

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福音記者マルコのイコン(キジ島、18世紀初頭)

第11章 1-30 クリスチャンの語源 [使徒行伝]

エルサレムでの迫害により散った弟子たちはユダヤ人に布教していたが、
一部、キプロスやキレネ人はアンティオキアに行きギリシャ人にも語り信仰者は増えた。


その噂を聞き、バルナバとパウロが行った。

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So for a whole year Barnabas and Saul met with the church and taught great numbers of people. The disciples were called Christians first at Antioch.
二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
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異邦人の大規模な信徒の集団ができたのがアンティオキアらしい。
ローマ、アレクサンドリア、コンスタンチノープル、エルサレム
と並列される五大総主教座の地位になる。


現在はシリアとの境界のトルコ領の小さな町で人口約15万。
1939年に地元の議会でトルコへの帰属決議があり、シリアからトルコ領となる。
↓は、その元のシリアの教派一覧だが、正直、混乱している。
シリアでは人口の約10%がキリスト教徒らしい。
しばらく眺めてみようと思います、、、。

syria.JPG

第10章 1-48 異邦人に聖霊降る [使徒行伝]


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The circumcised believers who had come with Peter were astonished that the gift of the Holy Spirit had been poured out even on the Gentiles.
割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
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異邦人が割礼も洗礼も受けていないのに、聖霊が注がれた。
儀式や国籍や人種など外形的なことは関係ないということですね。


381年のニケアコンスタンチノープル信条には

「 罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、」

とある。カトリックの礼拝ではこの信条は必須のようだ。
教会組織としての共通認識なのだろう。
聖書に洗礼無しでも聖霊が注がれたこの箇所を言えば、

「まぁ、それはそれ、」と笑って終わりなのだろう。

機会があれば聞いてみたいが。