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第9章 1-43 サウロ回心したが、 [使徒行伝]

サウロは改心したが、ユダヤ人に狙われた。

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After many days had gone by, the Jews conspired to kill him,
かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
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ユダヤ人にしてみれば、身内からの離反者なので、
裏切られた憎しみ、組織の引き締めもあるのでしょう。


回心当初は、どちらからも厳しい目で見られたが、
彼は、突っ走った。


イエスと会ってないが、イエスに声をかけられた。
彼の経歴から嘘を言う必要もなく、嘘であれば使徒と呼ばれるまでにはならない。

pauro.JPG
ピエトロ・ダ・コルトーナが1631年に描いたパウロの回心

第8章 1-40 シモニア [使徒行伝]

シモンという名の知れた魔術師がいた。
彼すらイエスの弟子フィリポから洗礼を受けた。
フィリポも病気を治せた。

フィリポは洗礼をしたが、聖霊は降りなかった。
ペテロやヨハネの洗礼は聖霊が降りた。


シモンは金を用意してペテロやヨハネと同様の力を譲ってくれるよう頼んだ。

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Peter answered: "May your money perish with you, because you thought you could buy the gift of God with money!
すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
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これで「シモニア」と呼ぶようになったそうだ。
日本語で「聖職売買」と訳すようだが、聖職に限らず
聖遺物やその容器もシモニアに含むと神学者トマス・アクィアスが規定したらしい。
対価は物品や便宜・奴隷的奉仕。


「聖なるモノを、俗な対価で要求するのはゲス」
ということ位、少し考えたら分かるだろと言う話ですが。

第7章 1-60 最初の殉教者 [使徒行伝]

ステファノは捕まり、ユダヤ人らに言いたいことを言った。
格調高く、創世記よりアブラハムの歴史から始め、
イエスを死に至らしめたユダヤ人の罪を糾弾する。

51-53で遠慮せずストレートに切り込む。
そして自分の死を覚悟する。

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"Look," he said, "I see heaven open and the Son of Man standing at the right hand of God."
「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
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そう見えたのだろう。死に際して、どういう映像が脳に与えられるか、
襲ってくる迫害者でなく彼はイエスを見た。


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Then he fell on his knees and cried out, "Lord, do not hold this sin against them." When he had said this, he fell asleep.
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
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ステファノはイエス同様、彼らを責めなかった。
初の殉教だった。「敬愛」やね。

stfano.JPG
ケルン大聖堂のステンドグラス「聖ステファノの殉教」

第6章 1-15 新参者イビリ [使徒行伝]

AD36年頃のことである。
イエスの磔刑のAD28年頃から約8年で、ギリシャ語圏での信者が増加した。
それに伴いトラブルも生じる。

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In those days when the number of disciples was increasing, the Grecian Jews among them complained against the Hebraic Jews because their widows were being overlooked in the daily distribution of food.
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。
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食事の量で嫌がらせ発生!
笑うところではない。

が、7人の執事が選ばれ解決に向かう。

第5章 17-42 迫害 [使徒行伝]

ペテロたちがイスラエルの大祭司に捕まる。

・イエスの名を使っての布教
・イエスの死を大祭司の責めにしようとしている

この2点問われる。

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Peter and the other apostles replied: "We must obey God rather than men!
ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。----

それでも彼らは続けた。

第5章 1-16 虚偽献金の罪と罰 [使徒行伝]

ある夫婦が土地を売って献金した。
その際、手元に残していたのにもかかわらず全額と偽った。

ペテロは言った。

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Didn't it belong to you before it was sold? And after it was sold, wasn't the money at your disposal? What made you think of doing such a thing? You have not lied to men but to God."
売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
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そして死罪となった。
これは厳しいようだが、初代教会としては前例として残しておくのも当然なのでしょう。

第4章 1-37 親石 [使徒行伝]

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He is "`the stone you builders rejected, which has become the capstone. '
この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。
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詩118:22よりしばしば引用されるようだ。私も何回か聞きました。
捨てられたけど礎の石となられたイエスのことである。

事実、今日の一夫一婦制度にしろキリスト教の普及がなければ殺伐とした世の中でしょう。
親石としての役割は他の追随を許さないのは事実でしょうね。

第3章 1-26 ペテロと「洗礼」 [使徒行伝]

ペトロがある人の足を完治させる。
それを知った人々は驚く。彼が語った中の一言。

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Repent, then, and turn to God, so that your sins may be wiped out, that times of refreshing may come from the Lord,
だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
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ここでは、罪が消える要件を「悔い改め」「神に返る」の2つとしている。
そこに「洗礼」は無い。

聖餐を受けるにも「洗礼」が必須というのがスタンダードのようであるが。
実務と神学の違いなのかもしれない。
教会によりマチマチであるが、郷に従っている。

第2章 1-47 キリスト教的共産主義 [使徒行伝]

五旬祭に使徒を含め多くのガラリヤ人が集まって朝9時頃から、
皆聖霊に満たされ外国語を話していて、近隣の人に驚かれたようだ。

また、イエス昇天後の原始キリスト教の使徒たちの記録なので、紀元1世紀中ごろなのだろう、その頃のエルサレムでの彼らの様子が書かれている。

44-45
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All the believers were together and had everything in common.Selling their possessions and goods, they gave to anyone as he had need.
信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
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①私有財産はOK
②強制ではない。

が、理想郷としてはあっても、今日では条件が違いすぎて不可能なのでしょうね。



第1章 1-26 欠員補充 [使徒行伝]

ルカが福音書の次に著し、イエスの昇天後の弟子たちを使徒行伝に収める。
そのルカ伝はまだで順序が逆になるが、どなたもお気になされないと信じたい。

イエスは復活後に40日間弟子たちの下に現れたようだ。
この40日間というのはバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後に荒れ野で断食した日数でもある。

麻雀する人は「39」が好きなようである。私は賭け事は悲しい位に全くできない。


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Then they cast lots, and the lot fell to Matthias; so he was added to the eleven apostles.
二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。
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ユダが離れたので、使徒が11人となり補充することとなったが、候補者が2人いた。
イエスと行動をはじめから復活まで共にしてきた仲間だったが、クジで選んだ。

ここまできたら2人ともでもいいと思うのだが、「12」は固定だった。
イエスが12人を選らんだ意思の尊重もあるのだろう。

確か

天の数3 x 地の数4 = 天地を貫く数 12 

だったと記憶する。なら12の固定は絶対だろう。



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