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第1章 彼によって [ヨハネ伝]

ヨハネ伝の復習をすることにしました。


NIV 7  新共同
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He came as a witness to testify concerning that light, so that through him all men might believe.

彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
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まず洗礼者ヨハネが登場する。

洗礼者ヨハネをイエスに洗礼を施しただけの人と過小評価する文章を見た記憶があるが、
"through him" は、光たるキリストではなく、洗礼者ヨハネのことだった。

イエスのことをキリストだと認識できたのは、地上では彼だけだった。
彼がイエスをキリストだと宣言して、
自分の弟子である使徒ヨハネとアンデレが離れてイエスに従うのを承知していた。

それが自分の役割だと謙虚に振舞った。

メシアであるイエスに「偉大」という言葉は相応しくないが、
洗礼者ヨハネは「偉大」と言ってよいのでしょう。
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第21章 1-25 それぞれの死に様 (完) [ヨハネ伝]


ガリラヤにて3度目の復活があった。

イエスはペトロに3度「私を愛しているか?」と聞いて、ペトロを悲しませた。
が、これは3度「イエスを知らない」と言ったのに対応している。
こうして、羊の群れを率いる任務を与える。


その後、イエスはペトロの運命がイエスと同じように磔刑であることを示唆した。
そして、ヨハネを見て言った。

21
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When Peter saw him, he asked, "Lord, what about him?"
ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
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はじめは、「自分だけ?」と悲しくなって聞いたのかとも思いましたが、
「できれば同時に死にたいな」という友情だったのかもしれません。

この状況では、つまらない劣情は起こらないと思いますね。



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ヨハネの福音書、終わりました。
今季、21章22回 9割5分 ほぼ完璧でした。

感無量です。福音書4巻終了。気持ちよく眠れますね。
明日からどうしよう?
明日考えます。以上。

第20章 1-31 天国の鍵 [ヨハネ伝]

23
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If you forgive anyone his sins, they are forgiven; if you do not forgive them, they are not forgiven."
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
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381年のニケア・コンスタンチノープル信条では

>罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、

となっている。
洗礼をするのは神父や牧師なので彼の権威となるが、


人を赦す権威を内村鑑三の流れを汲む無教会派の黒崎幸吉の註解では、

>而してこの稜威は一般の信徒にも与えられている

と言う。聖霊が宿り福音を述べる者という意味だろう。
では、神懸かったジャンヌダルクが「あなたを赦します」と言う資格があるのかという話しだが、
どうなのでしょう。

第19章 1-42 目撃者ヨハネ [ヨハネ伝]


ヨハネは一部始終を見ていた。

35
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The man who saw it has given testimony, and his testimony is true. He knows that he tells the truth, and he testifies so that you also may believe.
それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
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「それ」というのは、直近の出来事の3つのようだ。

①2人は足の骨を折られたが、イエスは折られなかった。
②槍で脇腹を刺した。
③血と水が流れた。


全体を指しているのではない。

次節36と37で、聖書の預言どおりとなっていることに驚き①②の話を続けている。
36 「その骨は一つも砕かれない」
37 「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」


この事実とともにイエスの真なることを信じるようにと、特に念を押して記録に残したかったことが、35で理解できる。

目撃した者の責任をここにヨハネは果たした。

第18章 1-40 ピラトの現実主義 [ヨハネ伝]

「ユダヤ人の王か?」と聞かれ、
世俗の王でなく、真理に属する人たちの王という意味なら正しいということを
答えたが、

38
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"What is truth?" Pilate asked. With this he went out again to the Jews and said, "I find no basis for a charge against him.
ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。
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ピラトはイエスに罪は無いことを知ったが、真理なぞどうでもよかった。
また、無罪であれユダヤ人の求める声に従った。

ピラトのような人間を現実主義と黙認する世の中も怖いですね。

第17章 1-26 イエスの祈り [ヨハネ伝]

イエスは神に祈願した。

①自分の栄光のため
②弟子のため
③孫弟子以降の信徒のため

霊的一致を強調している。
平易な文章ではあるが、なかなか奥が深い。


「永遠の命」の意味を勘違いしていました。

3
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Now this is eternal life: that they may know you, the only true God, and Jesus Christ, whom you have sent.
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
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てっきり、霊的存在として死後も神の側で生き続けることかと。
そうではなく、神とイエスを知ることとある。

今まで「人の子」と自称していたのをイエス・キリストと初めて弟子の前で言った。
この発言があって、弟子たちは、イエスを「イエス・キリスト」と呼べる。
これがなければ、「キリスト」を付けていいか混乱が生じるだろう。

第16章 1-33 take heart! [ヨハネ伝]

イエスは「栄光」を迎えるにあたり、弟子に多くを語る。
共観福音書と異なり、ヨハネの力の入れ方が最後の晩餐前後に集中している。


33
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"I have told you these things, so that in me you may have peace. In this world you will have trouble. But take heart! I have overcome the world."
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」----

イエスは悲惨な死の前に、「勝っている」と言い切った。

事実、今日、人類の3分の1の人口を信者に持ち、
そうでなくとも一夫一婦制度と愛を普及させた。

その功績は測りしれない。

「take heart!」とある。
「勇気だせ」とあるし「安心してなさい」と訳されてもいる。

今も苦難の世ですね。

第15章 1-27 フィリオクェ問題 [ヨハネ伝]


この26節だけではなく全体から判断すべきことのようだが、ここに論争があるようだ。

26
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"When the Counselor comes, whom I will send to you from the Father, the Spirit of truth who goes out from the Father, he will testify about me.
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
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聖霊が「父から」でているのか「父と子から」でるものなのかである。
この節では、「 I will send 」となっているのでイエスも含むべきとは思う。

東西教会の歴史的な対立になっているので、私が「そうだろ」と簡単に言えるものではないとも承知している。

事実、分からない。
フィリオクェ(Filioque)とは「~と子から」という意味で、
ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)の原文を
ローマ教会がギリシャ語からラテン語に翻訳しようとする際に、
勝手に加えたようだ。

第14章 1-31 through me [ヨハネ伝]

6
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Jesus answered, "I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me.
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
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私もそう思うようになりました。
不思議なものです。
右往左往したので、感慨深いですね。

第13章 1-38 足を洗う [ヨハネ伝]


日本語の「足を洗う」は仏教用語らしい。

イエスは、最後の晩餐前に弟子の足を洗った。
そして、弟子に言った。

14
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Now that I, your Lord and Teacher, have washed your feet, you also should wash one another's feet.
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
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清い行為である。
以前、フランシスコ法王が少年院の少年の足を洗っていたが、
なかなかできることではない。

お互いに洗い合うとは素晴らしいことだと思いますね。
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