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第12章 1-50 預言者イザヤ [ヨハネ伝]

預言者イザヤはユダ王国後期の人だそうだ。
ユダ王国(紀元前930年頃-紀元前586年)

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Isaiah said this because he saw Jesus' glory and spoke about him.
イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。----

38-40でイザヤの言葉が引用されている。

メシアが登場しても信じない、と預言したようだ。
人が喜ぶようにハッピーエンドにして適当なことを言った訳ではない。

神がイザヤに預言させたと考えるのでしょう。

izaya.JPG
火で唇を神聖にするイザヤ(ベンジャミン・ウエスト画 1782, ボブ・ジョーンズ大学蔵)

第11章 1-57 ラザロの復活 [ヨハネ伝]


最近の復活の事例。驚くには時間が短いですね。

「心臓は止まっていた」 91歳女性遺体が息を吹き返した! 「寒かった」と愚痴こぼす(産経)
http://www.sankei.com/world/news/141115/wor1411150035-n1.html


さて、イエスはラザロを復活させた。

その少し前、

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Jesus wept.
イエスは涙を流された。
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聖書中の最短節、原文で3文字のようだ。
復活させることができるのに、泣いた。


これは、自分を憎んでいるユダヤ人が側におり、
愛するマリアとマルタ姉妹のため復活させても、
そのことが自分の神の子の証明であるけれども、身の危険を呼ぶ状況だからなのだろう。
その後、これを見ていた者がパリサイ人にチクリ、彼らは殺害を決意する。

第10章 1-42 わたしは神の子 [ヨハネ伝]


共観福音書ではイエスは自分のことを「神の子」と自称した記憶はないが、
この章で言ったに等しい言葉を発する。

「お前はメシアか?」と聞かれても、はっきり言えないのは、
身の危険の為と、「メシアはイスラエルを政治的に独立させるのが役割」と勘違いしていたためのようだ。


それでも、

30
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I and the Father are one."
わたしと父とは一つである。」
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と言う。現代では目くじらたてる問題ではないが、当時では危険だろう。

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what about the one whom the Father set apart as his very own and sent into the world? Why then do you accuse me of blasphemy because I said, `I am God's Son'?
それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。
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正論を言っても通じないのは分かっていたが、
旧約の預言どおり、自分の命で人類の罪を贖うため、
挑発的ですらある言動をもしている。

弟子を充分に育てるまでは、簡単に殺される訳にはいかないという意識もあったのだろう。

第9章 1-41 自己責任論 [ヨハネ伝]


イエスは3節で先天の全盲の人について言った。

3
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"Neither this man nor his parents sinned," said Jesus, "but this happened so that the work of God might be displayed in his life.
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
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障害でなくとも、絶望に沈みたくなければそう理解するしかない状況はある。

そしてそれを信じることで、少なくとも体内に変化が起こる。
そこからなのだろう。

第8章 1-59 爆弾発言 [ヨハネ伝]


人によっては前世の記憶があるようだ。
私は無い。イエスはあったようだ。

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"I tell you the truth," Jesus answered, "before Abraham was born, I am!"
イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」
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イエスが言うのならそうだろう。
しかしこれは、自分が神であることを示唆しているので、当然の反発がある。
事実、次の節で石を投げられそうになり隠れる。

もちろんイエスは百も承知だったのだろうが、
殺されかねないことであろうが、言うべきことは言った。


第7章 1-53 イエスの逃亡 [ヨハネ伝]

イエスを捕まえるために来た役人に言う。

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You will look for me, but you will not find me; and where I am, you cannot come."
あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」
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人がどういう次元のことを言っているのかキャッチするには、
よく聴いてなければならないという例ですね。

第6章 1-71 肉を食べ、血を飲む [ヨハネ伝]


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Whoever eats my flesh and drinks my blood remains in me, and I in him.
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
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肉と血をパンとワインに例えた最後の晩餐の前の段階での発言。

聖餐式で気が散る時もある。
未洗礼ではあるが、霊的にキリストと一体になった感覚も幸いにして知る。

最後の晩餐から磔刑時のイエスの心境を自分の中で再現し同化するプロセスがいる。
単なる哀れみ、同情、憐憫といったものではない。
私もそうだったがそういう勘違いは多いだろう。

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He said this while teaching in the synagogue in Capernaum.
これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。
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と、ヨハネの記憶が記されている。

第5章 1-47 モーセと新約 [ヨハネ伝]

旧約と新約の関係が46節の一文に象徴している。

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If you believed Moses, you would believe me, for he wrote about me.
あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。
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旧約はメシアが来ることを書いており、旧約を信じるならば新約は必然であった。

しかし、儀式や律法を形式的に守っているだけの「惰性」となった人の内面は死んでいる。

事実、共産主義を牽引したのも彼らだった。

第4章 1-54 永遠の命 [ヨハネ伝]

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but whoever drinks the water I give him will never thirst. Indeed, the water I give him will become in him a spring of water welling up to eternal life."
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
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確かに、自分の体内に泉があるような感覚はありますが、
「永遠の命を得たぞ!」と思ったことはないですね。

肉体的な永遠の命は、地獄ですね。

第3章 1-36 光と闇 [ヨハネ伝]

マタイ、マルコ、ルカが「光と闇」と表現した記憶はない。
ヨハネだけだろう。
が、使徒ヨハネではなく、弟子だと思いますね。
まだ、直感の段階ですが。


悪事を重ねた人間は光を避ける。
それはダークサイドに生息することになるので、
そのこと自体、「裁き」と言える。

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This is the verdict: Light has come into the world, but men loved darkness instead of light because their deeds were evil.
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
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「悪事」というのが放火や殺人といった重犯罪でなくとも、
社会的地位があろうとも、どちらの「サイド」に立ってるかは
人相にでてくるのだろう。

光と闇の間は、2色ではなくグラデーションなのでしょう。