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第6章 1-18 パウロの皮肉 [ガラテヤ書]


このガラテヤ書の真筆性は高いとされている。
普段は弟子に筆記させているが、この手紙は全部自分で書いたようである。
が、親筆書は全く残っていないようだ。

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See what large letters I use as I write to you with my own hand!
このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
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最後の締めの18節の手前に、残している一文。

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Finally, let no one cause me trouble, for I bear on my body the marks of Jesus.
これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
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偽教師の教えに惑わされている者に対し、自らの身体の傷跡を証拠として
正当性を主張する。

皮肉でもあろうが、余裕からでたものではなく、
冷笑する箇所ではないですね。感情が凝縮している。

第5章 1-26 隣人愛 [ガラテヤ書]

昔は、キリスト教の教えだと勘違いしていました。
旧約の教えのようですが、どう実践されていたのか疑問です。


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The entire law is summed up in a single command: "Love your neighbor as yourself."
律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
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新約の場合、マザーテレサをはじめ多くの聖人がいますが、
旧約の隣人愛はピンときませんね。


第4章 1-31 アッバ(父)  [ガラテヤ書]

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Because you are sons, God sent the Spirit of his Son into our hearts, the Spirit who calls out, <"Abba>, Father."
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
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「父」と呼ぶには理由がある。育てられて自然に父親に言う場合。

見えない存在に「父よ」と心から言うにも理由がある。
神が霊を送ってくださったからと考えるのが自然である。

アラム語のようだ。
私は「父よ」と日本語ではしっくりこないので言っていない。
むしろこの際、「アッバ」がいいのかもしれない。

第3章 1-29 キリストのもの [ガラテヤ書]

29
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If you belong to Christ, then you are Abraham's seed, and heirs according to the promise.
あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
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血が少しでも流れているのか、あるいは流れていないのかもしれませんが、
アブラハムの子孫だと漠然と思いますね。
「キリストのもの」とはピンときませんが。

第2章 1-21 右手の握手 [ガラテヤ書]

前章では、パウロは改心後3年でエルサレムに行き、ペトロとイエスの兄弟と会った。
その14年後に再度エルサレムに行った。
(その間にも行ったようであるが、書くことがなかったようだ)

17年間でシリア人中心のアンテオケ教会の基盤を作り、
堂々とバルナバとエルサレムに向かった。

そして、握手した。

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James, Peter and John, those reputed to be pillars, gave me and Barnabas the right hand of fellowship when they recognized the grace given to me. They agreed that we should go to the Gentiles, and they to the Jews.
また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
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利権屋の握手ではなく、ローマ支配下の絶望的状況の中、
イエス・キリストを信じ、福音を述べるという点において握手する。

この時代の美しい光景に感動を覚えた者たちが、
中世において異端とされたのは悲しいことだ。

第1章 1-24 モグリの伝道 [ガラテヤ書]

パウロはイエスより啓示を受けて、謹慎していたようだ。

18-19
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Then after three years, I went up to Jerusalem to get acquainted with Peter and stayed with him fifteen days.
I saw none of the other apostles--only James, the Lord's brother.
それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。
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謹慎的な態度であっても、スグに伝道はしていたらしい。
そして3年経って、ペテロ(ケファ)とヤコブに会った。

12使徒の本家からしたら、勝手に伝道してた奴だったが、
ペテロとイエスの弟が会ったシーンは、
おそらくあまり言葉は無かったのかもしれません。
無言で理解し合ったのだと思いますね。

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