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その時歴史が動いた 新聞誕生 〜幕末・ジョセフ彦の挑戦〜 [映像]

(2006日)両親を失った彦太郎は13で義父の船で海に出るも難破し、
アメリカの商船に助けられカリフォルニアで育つこととなった。

良い家庭に預けられ5年間教育を受け、カトリックの洗礼も受けた。
日本に戻れば捕まるので、アメリカ国籍を取得。日本人第1号だった。

彼は第15代米大統領のブキャナンと後に次のリンカーンとも会う。

1859年に駐日公使のハリスに採用され神奈川領事館通訳となった。
彼は外国人だったので居留地の外に出ることができず故郷に帰れなかった。

彼は諸外国の「事実」を日本人に伝える必要を自分の義務と考えたのでしょう。
日本の瓦版では到達していなかったレベルの「新聞誌」を発行した。
福沢諭吉も読んでいた。

「新聞の父」となった。

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神さまは、彦太郎の遭難とアメリカ商船を引き合わせ、助けた。
カリフォルニアで裕福な家庭で育てさせ、洗礼に至らせた。

そして、日系アメリカ人として日本に新聞を持ち込ませた。
通訳や事業は生計目的だろうが、「新聞誌」は採算を超えた使命感でしょう。


神さまは、精霊として個々人に働きかけられるのは、
宗教宗派を超えられるということでしょう。

「救い」が与えられるのは、所属教団で決まるのではない。
カトリックで救われる人もいれば、救われない人もいる。
それは他も同じでしょう。

いろいろな人がいるが、私が彦と同じ船に13で乗ってたら、
どうなってたのでしょうね。
英語で躓き、悲惨だったやもしれません。

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