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第16章 1-27 ご挨拶 (完) [ロマ書]

最終章、お世話になった人への挨拶や紹介。

パウロの直筆ではないようだ。

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I, Tertius, who wrote down this letter, greet you in the Lord.
この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶いたします。
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このように、速記者にも挨拶させているのが、彼の人柄のようだ。


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今回、16章16回、パーフェクトです。
完封とか完全試合とか、そういう満足感が欲しいところではあります。
が、今日は満足です。

第15章 1-33 霊と肉の交換レート [ロマ書]

マケドニア人とアカイア人はエルサレムへの援助を快諾した。

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They were pleased to do it, and indeed they owe it to them. For if the Gentiles have shared in the Jews' spiritual blessings, they owe it to the Jews to share with them their material blessings.
彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。
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「本家が困っているようなら助けるのは義務」というのは、
どこの世界でもありそうですが。

初期キリスト教の時代は本当に困っていたのでしょうから、
このパウロの文章は非難するものではありませんね。

相場が無いのは当然でしょう。

第14章 1-23 ささいな問題だが [ロマ書]

肉食がダメで菜食にすべきかは、どうでもいい問題であって、
好きにすれば良いとのこと。

問題は、罪になるかもしれないと思いながら食べることが罪のようだ。

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But the man who has doubts is condemned if he eats, because his eating is not from faith; and everything that does not come from faith is sin.
疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。
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食事に限らず、「まぁいいや」と実行するのを繰り返せば、良心が麻痺してくるのでしょう。

第13章 1-14 負債 [ロマ書]

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Let no debt remain outstanding, except the continuing debt to love one another, for he who loves his fellowman has fulfilled the law.
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
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借りは嫌いですね。

第12章 1-21 敵を呪う [ロマ書]

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Bless those who persecute you; bless and do not curse.
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
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・祝福の場合
イエスは実践された。確か最初の殉教者ステファノもそうだった。
しかし、宗教戦争になればそんなこと言ってられないのでしょう。


・呪いの場合
イエスはイチジクの木を枯らした。やろうと思えばできることを弟子に示した。
呪うという負の想念は、精神衛生上よくないので絶対にすべきでないですね。

第11章 1-36 give and take [ロマ書]


ヨブ41:11の引用

35
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"Who has ever given to God, that God should repay him?"
だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか。」
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そういう心理状態になってしまうが、そういうものではない。
神に不足は無いのだから、謝礼目的に与えることは無意味なのだと。
人間は神を讃美するしかなく、恵みは一方的に与えられるのだと。

根本的なところの1つですね。

第10章 1-21 イザヤ爆弾発言 [ロマ書]

パウロは、預言者イザヤ(ユダ王国末期)を引用した。

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And Isaiah boldly says, "I was found by those who did not seek me; I revealed myself to those who did not ask for me."
イザヤも大胆に、「わたしは、わたしを探さなかった者たちに見いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。
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紀元前8世紀頃に、「神はユダヤ人限定ではない」とイザヤは言ったが、聞き流されたということだろう。

「日本は日本人だけのモノではありません!」に対する反応と近かったのかもしれません。
信仰の領域と領土・権利義務の領域とは次元が異なりますね。


↓右手に何を持っているのでしょう。子どもの位置が不自然なので天使なのでしょうが、顔が怖いのが疑問です。

izaya.JPG
『イザヤ』" Isaiah"
(ミケランジェロ-- Michelangelo 作)システィーン礼拝堂、イタリア

第9章 1-33 悪役レスラー [ロマ書]

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For the Scripture says to Pharaoh: "I raised you up for this very purpose, that I might display my power in you and that my name might be proclaimed in all the earth."
聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。
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奴隷時代のエジプト王の存在は、I=神 が設定したそうだ。
決して、悪魔の手先ではない。

悪魔の手先だと理解すれば、絶対二元論。
堕天使だと理解すれば、穏健二元論。

で、OKだろう。

第8章 1-39 所属 [ロマ書]

「聖書を指輪とすればロマ書はその宝石であり第8章はその宝石の輝く先端である」(シベーネル)

だそうだ。
黒崎の註解からだが、「シベーネル」をググッたがよく分からない。

9
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You, however, are controlled not by the sinful nature but by the Spirit, if the Spirit of God lives in you. And if anyone does not have the Spirit of Christ, he does not belong to Christ.
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
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これが本質でしょう。
幽霊会員は属しているとはいえない。
逆に、教会組織に属していなくても、神の霊が宿っていれば属していることとなる。

第7章 1-25 パウロの懺悔 [ロマ書]

今日は、読みづらかったですね。
妙な言い回しが多いのですが、聞きとれるようになりたいですね。


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I do not understand what I do. For what I want to do I do not do, but what I hate I do.
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
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14-25節はパウロの経験でもあると考えられているようだ。
世俗的ですね。