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第6章 1-23 We can change! [ロマ書]


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For we know that our old self was crucified with him so that the body of sin might be done away with, that we should no longer be slaves to sin--
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
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「 was crucified with him 」
信仰に入ってキリストと一体となる心の状態

こうして、確かに体質も変わりました。
お酒で気を紛らわしたいということが無くなりましたね。

第5章 1-21 永遠の命 [ロマ書]

アダムの罪により人類に死が与えられた。
モーセ以降、律法が支配するも、
キリストを信ずることで義とされ恵みが与えられる。

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so that, just as sin reigned in death, so also grace might reign through righteousness to bring eternal life through Jesus Christ our Lord.
こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
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昨日は「ゲド戦記」を鑑賞したが、「永遠の命」を求めたのは魔女でしたね。

第4章 1-25 信仰のみ [ロマ書]

パウロは創世記15-6を引用した。

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What does the Scripture say? "Abraham believed God, and it was credited to him as righteousness."
聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
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アブラハムは割礼や洗礼を受けていないが、「義」とされた。

これが、核心でしょう。

第3章 1-31 律法と救い [ロマ書]

律法という文書に従うことが心の救いとなるのか?
パウロは言う。


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Therefore no one will be declared righteous in his sight by observing the law; rather, through the law we become conscious of sin.
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
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この20節が律法の限界を一言で記している。

神は、人が律法を遵守しているかどうかに関心はないようだ。
あくまで、動機が純粋であったり、悪気があるかどうかといった内面なのだろう。

第2章 1-29 神の審き [ロマ書]

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For God does not show favoritism.
神は人を分け隔てなさいません。
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善を行う者に栄光と誉れと平和が与えられる。

それは、ユダヤ人、ギリシャ人など関係ない。
人の心の内部が問題であり、外面的な人種や民族、
また異教徒であろうが関係ないようである。


第1章 1-32 our Father [ロマ書]

パウロがローマ教会へ宛てた手紙だそうだ。

1-7節までは冒頭の挨拶であり、格調高い。

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To all in Rome who are loved by God and called to be saints: Grace and peace to you from God our Father and from the Lord Jesus Christ.
神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
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弾圧してたパウロに対して、この手紙の頃の人々はどう思っていたのだろうか。
「our Father」と ourを付けられても、初期の頃は反発もあったでしょう。


私が、タイトルにつけたように、ここに引っかかっているのは、
まだ、私は「our」を付けて言えるようになっていないからです。
パウロのように弾圧してませんが、偉そうに言える人間でもありません。
深入りしていないものの様々な教えに迷っておりましたね。




この章の後半は旧約からの考え方を端的に記しているのだろう。

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For since the creation of the world God's invisible qualities--his eternal power and divine nature--have been clearly seen, being understood from what has been made, so that men are without excuse.
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
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彼らとは愚かな人間のことであり、
被造物は全て、神の永遠の力と神性に下にあると言っている。

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and exchanged the glory of the immortal God for images made to look like mortal man and birds and animals and reptiles.
滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
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パウロは、当然このように認識しており、偶像崇拝を明確に否定している。


父である神が造物主であるという、この一文すら腑に落ちていない日本人がほとんどなので、パウロの時代に劣らず日本も決していい時代ではないのかもしれません。