SSブログ

小原克博「正戦論(2)──キリスト教とイスラームの視点から」(講義「宗教と平和」第9回、同志社大学) [講義-神学等]

(2013日)イスラム=ジハード=聖戦 というイメージで捉えられがちだが、
見誤ることとなる。

古典イスラーム学や神秘主義を核とするスーフィズムの伝統では、
「大ジハード」と「小ジハード」と分けて考え、
前者を個人の内面の戦いとし、後者を異教徒との戦いとする。

が、「小ジハード」が即、聖戦となるかと言えばそうではなく、
アッラーへの献身のためか、人間の欲望からきた戦いかが、
問われ戦いが制限されることから正戦論として考えなければならない。

又、その小ジハードは異教徒向けとは限らず、
イスラム内部の世俗政権に向かう際にも使用されるようだ。


----memo

正戦から聖戦へ

内なる浄化 11c聖職叙任権闘争  
外なる浄化 十字軍

連動

「浄化」健全と危険

十字軍の負の副産物 ユダヤ人虐殺

30年戦争 聖戦の排除 正戦論の世俗化 勢力均衡政策

-----
正戦論を主張する神学者  ポール・ラムジー R.ニーバーの影響
  リアリスト
  自分ではなく抑圧された他者の左のほほ、
   「よきサマリア人」


マイケル・ウォルツァー
 jus ad bellum を検証 極めて少ない
 自衛のための先制攻撃 ハードル高く
 テロリズムとゲリラ戦とを区別

人道的介入


-----
イスラームの場合

防衛ならジハードよい

そもそも 大ジハード 自我との戦い
 小ジハード 異教徒との戦い

  よって、小ジハードは正戦論 n聖戦

現代
 イスラム内部
 イスラーム主義者が世俗政権を打倒するためのジハード

 イスラム外部
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。