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「神が見るように見、祝福を受けよ」創世記13章8節から18節 その1/3 [雲の柱・火の柱]

(2003日)

心の目、信仰の目で見ているものを、説明するのは難しい。通じない。
昔のことを思い出しました。

ある牧師には、「梅田さん、精神科の診断受けたことありますか?」とまで言われた。

以前に↓にも書いたが
https://vbc-p.blog.so-net.ne.jp/2017-12-29

これを日本基督教団全体の体質にすべき問題とは捉えていない。
有名先生に何度も足を運んでもらって親を説得してくれて「就職」したようだが、
社会人にならずに信徒の多い教会に配置され、甘やかされ恵まれてしまった稀有な例なのでしょう。

指摘され、「すみませんでした。」と一言言えば済む問題もウヤムヤに誤魔化し、
上から目線で乗り切ろうとするところに、「心の目」「信仰の目」は無かった。


話が、脱線しましたが、「心の目」「信仰の目」というのは、
大切だが、説明するのは難しく、理解されがたい。
「信仰の目」をもって「縦横」に歩くのも簡単ではありませんね。





---memo

ロト 目でみると ソドムゴモラを すみずみまで潤っていた
アブラハムに アイーン 肉の目の他に心の目の意もある

ソドムゴモラに巻き込まれ 妻まで失った

約束 
御子さえ与えて下さった神が、
信仰の目をもって縦横に歩め

神の約束を手に受ける


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