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その時歴史が動いた 日本の運命を背負った少年たち 〜天正遣欧使節・ローマ教皇謁見の時〜 [映像]

(2004日)1585年3月23日、日本の少年たちがローマ教皇に謁見した。

1549年にイエズス会のザビエルが日本にキリスト教を伝えた。
宣教師たちの中には日本人を未開人扱いし、祈りの言葉を暗唱させるだけで意味を教えようとしない者もいたようだ。

が、ヴァリニャーニ宣教師は違った。日本を独自の文明国としてリスペクトした。
ヴァリニャーニは長崎・有馬でキリシタン武士の子弟に対し西洋の学問を教える学校を開く。そして優秀な4人を選び、ポルトガル国王とローマ教皇の謁見を期待し2年を超える船旅が始まる。

彼らの目的と意義、帰国後を確認する。

長い歴史を俯瞰すれば、彼らが西洋に日本が文明国であることを最初に認知させたと理解できる。
帰国後に秀吉の仕官への誘いを断り、神学の道に進む。

カトリックの戦略や日本の文明、あるいはプロテスタントがどうのこうのという次元でなく、14歳程の少年たちが堂々と日本人として振る舞ったことは立派なことだ。

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教皇が涙で謁見する。
白人カトリック社会を築いてきた彼らだったが、
そもそもイスラエル人が非白人だったこともあり、
礼儀正しく立派な非白人少年を見て、感極まったのでしょうね。

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