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英雄たちの選択  天下争奪!?~伊達政宗 戦国最後の野望~ [映像]

(2015日)18で仙台藩主となった伊達政宗は24で秀吉と対峙することとなった。
1590年の北条征伐で小田原に参陣するよう命ぜられた政宗は苦悩した。

西日本を抑えた秀吉は22万の軍勢なのに対し、北条5.6万、政宗2万だった。
徳川が寝返れば話は変わるが、そう見込みはなかった。

秀吉に下っても命の保証もなかった。自分ならどうするか、と番組は考えさせる。

また、通説では、秀吉に下る政宗に母が毒を盛ったというが、違う事実が判明した。
秀吉との会見での「白装束」は事前に調整済という説もあるなど、
様々な逸話があり、政宗も面白い。

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政宗配下の支倉常長はエスパーニャとローマ教皇に会っている。
国王フェリペ3世には領地を差し出す旨の意思表示をしている。江戸幕府を倒したかったようだが、その夢は果たせなかった。

キリシタンは西日本に多かったが、1567年に政宗は仙台で生まれ1587年の秀吉のバテレン追放令があり家康にも引き継がれたのでキリシタンにはならなかっただろうが、
視界が海外にあり、倒幕、天下人への野心を持ち続けたのには敬意すら抱く。

日本国内でカトリックは「隠れ」となり、幕府はプロテスタントのオランダと通商を続けることとなる。
16世紀17世紀で日本がカトリック国にならず江戸幕府で日本文化を温存したことが、
明治の成功となったのでしょう。
さもなければ、経済発展と軍拡の勢いがなくロシアに飲まれてたのやもしれません。
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http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2016-12-08




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