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その時歴史が動いた ロシア女帝が涙した帰国願い 〜日露交渉の扉を開いた大黒屋光太夫〜 [映像]

(2003日)1782年末に出向した17人を乗せた商船がアリューシャン列島まで漂流した。
商人だった船頭の大黒屋光太夫が10年を経て帰国することとなるが、
その過程はロシア皇帝エカチェリーナ2世が憐れむほど苦難の道程だった。

彼ら一行はすぐにでも帰国したかったが、帰国許可を得るため州都イルクーツクまで数か月かけて向かう。
が、そこの知事は彼らを日本語学校の講師にしようと、「帰国願」を机に入れたままにした。

妨害の中で時間が過ぎ、死亡する者、現地で家庭を持とうとする者がいたが、
船頭の責任感から、日本に帰りたい者がいる以上、自分も諦めないと決意した。

そして、彼が、開国交渉の通訳を務めることとなった。

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2名がロシア正教会に改宗した。彼らの死亡時の年齢も残っていた。
1人は日本に戻りたかったが、江戸時代、改宗は罪だった。

それをご都合的に棄教し戻ることも不可能ではないだろうが、
はたして帰国の船旅を無事戻れはしなかったでしょう。

光太夫は異教徒として謁見し、交渉に役に立つと判断されたが、
この場合の棄教はロシアで家庭を持った以上、光太夫も許さなかったのでしょう。

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