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第32篇~第33篇 [詩篇]


罪が赦される確信の問題。


32 1-2 NIV-JLB
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Blessed is the one
whose transgressions are forgiven,
whose sins are covered.
Blessed is the one
whose sin the Lord does not count against them
and in whose spirit is no deceit.
罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。
罪がすっかり消された喜びは、
どれほど大きいことでしょう。
罪を告白し、その記録を消し去ってもらった人は、
どれほど解放感を味わうことでしょう。
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口語訳
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のとががゆるされ、
その罪がおおい消される者はさいわいである。
主によって不義を負わされず、
その霊に偽りのない人はさいわいである。
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洗礼は救いの条件ではないからといって、
未洗礼で「平然」とクリスチャンと自覚できるのは、
元々真面目な人で罪といっても些細なことだったからなのでしょう。

が、私のような他宗教を礼拝しないまでも包括主義を洗礼前から主張していると、
「赦されている」という確信が得られず悪夢を見たりすれば動揺もした。

よって洗礼を意識してから3年ほどで受洗できた時は、うれしかったですね。
洗礼が救いの条件でなくとも、救いの確信でした。
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