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「思い通りにならない時」ハガイ書2章20節から23節 [雲の柱・火の柱]

(2019日)

神さまは人間の考えを超えたところで計画されているとのことでした。

諸教会を巡り、試練を与えられました時もありましたが、
洗礼を受ける前の受け止め方は、「神さまに呪われているのではないか」
と頭に浮かぶこともよくありました。

無教会主義の内村鑑三は洗礼は必要ないとの立場でしたが、
必要な者には洗礼を授けたということを、
皮肉にも某のぞき教会の牧師に教えてもらいました。

まさに私のような、洗礼という儀式を経なければ救われている確信を得れずに不安になる罪人にこそ洗礼が必要なのでしょう。

皮肉や矛盾の連続に神経をすり減らしたこともありました。解決に至ってませんが、
残念なことも、視点を変えれば前進であるやもしれないと考えるようになりました。
それがキリスト者の道なのかと普遍化するつもりはありませんが、
現在はそう納得しなければならないのでしょう。





----memo


いろいろあっても とにかく

医者を必要とする者

何かあっても 全てを益に


バビロン捕囚
ユダの総督ゼるバベルが王になるという預言 

が、死んでしまった
が、 握り続けた

エレミヤ 貴族だったが、バイロンで奴隷

うめきが聖なるささげもの

神さまから答えを聞けなかったが、
間接的に知る


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