「昭和天皇実録」とカトリック [書籍]
岩波新書からの原武史氏の著作では、どうも昭和天皇は占領期に改宗を考えていたらしい。
かなりカトリック関連施設に通ったり人と会ったりしている。
実際は在外公館や領事館は廃止されているので、GHQ以外に接触できる貴重な存在だったということでしょう。
改宗をシミュレーションしたことは一度はあっても二度は無いと思いますね。
昭和20年1月頃の「一発殴ってから講和」という「一撃講和論」に拘り、
7月末まで勅旨を神社に派遣して戦勝祈願したことで、
著者はそのことで、「戦争責任」を示唆しているが、
実際は、ソ連に仲介を頼む近衛の案で、沖縄も含めた国土と国民の労働力の提供を承認しているので、7月末からの神社での祈願は単なる「ヤケクソ」でしょうね。
確かホーリネスやメソジストの弾圧もあったが、パウロのような改心はなかった。
あれば、共産主義とはいえ恐怖を動機としてマッカーサーに防衛を依頼する交渉はしない。
占領期カトリックへ接近したが、昭和26年頃から最小限にする。
あくまでリアリストとしての判断で、賢明だと思いますね。
この著作は、同意できない箇所が若干あったとしても、
書かれている「改宗の噂」関連の事実や幼少から青年期の成長過程を参考にするなら良書だと思いますね。
かなりカトリック関連施設に通ったり人と会ったりしている。
実際は在外公館や領事館は廃止されているので、GHQ以外に接触できる貴重な存在だったということでしょう。
改宗をシミュレーションしたことは一度はあっても二度は無いと思いますね。
昭和20年1月頃の「一発殴ってから講和」という「一撃講和論」に拘り、
7月末まで勅旨を神社に派遣して戦勝祈願したことで、
著者はそのことで、「戦争責任」を示唆しているが、
実際は、ソ連に仲介を頼む近衛の案で、沖縄も含めた国土と国民の労働力の提供を承認しているので、7月末からの神社での祈願は単なる「ヤケクソ」でしょうね。
確かホーリネスやメソジストの弾圧もあったが、パウロのような改心はなかった。
あれば、共産主義とはいえ恐怖を動機としてマッカーサーに防衛を依頼する交渉はしない。
占領期カトリックへ接近したが、昭和26年頃から最小限にする。
あくまでリアリストとしての判断で、賢明だと思いますね。
この著作は、同意できない箇所が若干あったとしても、
書かれている「改宗の噂」関連の事実や幼少から青年期の成長過程を参考にするなら良書だと思いますね。
2016-02-14 16:46
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0