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第21章 1-34 サタンの世なのに、 [ヨブ記]

ヨブは因果応報論で自分を悪人と決めつける連中に反論する。

現実の世界は、悪だろ、と。

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"How often is it that the lamp of the wicked is put out, that their calamity comes on them, that God distributes sorrows in his anger?
悪人のともしびの消されること、幾たびあるか。その災の彼らの上に臨むこと、神がその怒りをもって苦しみを与えられること、幾たびあるか。
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現実は悪が謳歌しているのを知っているクセに、
いざ目の前の苦難の友人に対して因果応報論を語る。

昔から何ら変わっていない図であり、
これを克服してありのままを捉えようとするのは、
私も含めて難しく、少数でしょうね。

第20章 1-29 自業自得の神罰 [ヨブ記]

応報思想を一般論でヨブに語る者がいた。
あいかわらず、ヨブを苦しめるだけだった。

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This is the portion of a wicked man from God, the heritage appointed to him by God."
これが悪しき人の神から受ける分、神によって定められた嗣業である」。
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悲惨なのは自業自得で、それが神から与えられた結果なのだと言う。
ヒドイ、クズのような友人であるが、現代の人間も自分も含めて、そう考えがちなのは自覚しなければならない。

大震災があって、「天罰だ」と言う者もいた。
そんなこと人間には分からないことなので口にすべきではないのでしょう。

第19章 1-29 ヨブの生きた意味 [ヨブ記]

ヨブは自分を責める友人に反論するが、
罪の無い自分に対する神の仕打ちが残酷だが、
それに意味があるととらえている。

25-27
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But as for me, I know that my Redeemer lives. In the end, he will stand upon the earth. After my skin is destroyed, then in my flesh shall I see God, Whom I, even I, shall see on my side. My eyes shall see, and not as a stranger. "My heart is consumed within me.
わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。 しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。
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あがなう者が現れ、神を味方として見る日が来るとしている。
自分の意味を捉える冷静さも持っている。

第18章 1-21 悪は消えると言うが、 [ヨブ記]

ヨブに対してビルダデが反論した。

あいかわらず、応報思想で「ヨブに罪があるからだ」とした。
ヨブが健康で元気があるならまだしも、弱っているのに、キツかった。

ヨブが悪人という前提に立ち説教する。

5-6
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Yes, the light of the wicked shall be put out, The spark of his fire shall not shine. The light shall be dark in his tent. His lamp above him shall be put out. 悪しき者の光は消え、その火の炎は光を放たず、 その天幕のうちの光は暗く、彼の上のともしびは消える。
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ヨブは神に正しい者だが、こういう目にあった。

悪は自滅すると私も思うが、1代で自滅するとは限らないとも思う。
悪で栄え数代の繁栄があるやもしれない。
が、どこかで清算されるのでしょうね。

第17章 1-16 死後の世界 [ヨブ記]

ヨブは身体も弱り、神経もすり減り、死後の世界を想像した。

14
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If I have said to corruption, 'You are my father;' to the worm, 'My mother,' and 'my sister;'
穴に向かって『あなたはわたしの父である』と言い、うじに向かって『あなたはわたしの母、わたしの姉妹である』と言うならば、
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ここでは、暗闇に這いつくばり、うじに声をかけている。
そういう世界をイメージしている。

仏教の言う畜生道を連想するが、観念体系が違うだけで、
イメージは同じようなものなのかもしれません。


第16章 1-22 未来予測 [ヨブ記]

ヨブは無神経な友人に反論する。

20
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My friends scoff at me. My eyes pour out tears to God,
わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。
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神を恐れるがゆえであり、棄教した訳ではないことが分かる。

22
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For when a few years have come, I shall go the way of no return.
数年過ぎ去れば、わたしは帰らぬ旅路に行くであろう。
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身体が弱っているのもあるが、願望だろう。

第15章 1-35  パラダイム [ヨブ記]

ヨブの反論に対して、また友人が説教する。
応報思想から出ていない。


この時代でも、アブラハムに息子イサクを殺すように命じたように、
神は「寸止め」するつもりで理不尽なことを命ずることもある。

名前は覚えていないが、ユダ王国の最後の方の王で、
神に対して正しかったものの父や祖父のために、理不尽に死んでしまった王がいた。

また、神が「3代にわたって呪う」ことも記述されていたと記憶する。

であるならば、ヨブの友人も知っていてもおかしくはない。

4
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Yes, you do away with fear, and hinder devotion before God.
ところがあなたは神を恐れることを捨て、神の前に祈る事をやめている。
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ヨブは神に言いたいことがあるだけで、恐れを捨ててはいない。

が、応報思想の友人は、苦難にあっている友人に常識の枠からしか観れていない。

ヨブにすれば、あいかわらず迷惑なだけであった。

第14章 1-22 死を待つ者の心境 [ヨブ記]

ヨブは詩的に語り続けた。


14
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If a man dies, shall he live again? All the days of my warfare would I wait, until my release should come.
人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。
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【新改訳】
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人が死ぬと、生き返るでしょうか。私の苦役の日の限り、私の代わりの者が来るまで待ちましょう。
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私の代わりの者がよく分からない。

口語訳のように単に「解放」とする方がすっきりとしますね。

第13章 1-28 虐待する神を信じるしかない [ヨブ記]

この章では、ヨブの友人への懇願と、神への懇願が記されている。

友人へは、「黙って話を聞け」
神へは、「私の罪はいったい何なのか教えて下さい。」

だった。
心からの叫びだった。

友人に、ヨブは言う。

15-16
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Behold, he will kill me. I have no hope. Nevertheless, I will maintain my ways before him. This also shall be my salvation, that a godless man shall not come before him.
見よ、彼はわたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。 これこそわたしの救となる。神を信じない者は、神の前に出ることができないからだ。
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神から理不尽な扱いを受けてもなを、神を信じることを宣言した。
救われる道はこれしかなかった。

この点を踏み外すことはヨブはしなかった。
神から離れて暴れまわっても救われないことは分かっていた。

どうしようもなかった。

第12章 1-25  ヨブの皮肉 [ヨブ記]

友人たちの説教に対して、ヨブは言った。

「苦難にあってるのは自業自得」という応報思想など、
誰でも言えることで責められ、ヨブは辟易したのだろう。

私の曾祖母は小卒だったと思うが、これ位のことは教えてくれた。


2
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"No doubt, but you are the people, and wisdom shall die with you.
「まことに、あなたがたのみ、人である、知恵はあなたがたと共に死ぬであろう。
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ヨブは、皮肉で、「そんな誰でも言えること・・・」と言った。


皮肉やジョークを言うくらいしか、なくなるものだ。