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BS歴史館 : 安倍晴明 / 平安京の闇のヒーロー [映像]

(2013日)陰陽師・安倍晴明は、平安時代の国家公務員の占い師だった。
現代とは違い、当時の占いは「科学」だった。

藤原道長は彼を重用した。占いが国家の政治に影響を与えた。
現代で言えば、シンクタンクの機能を彼個人が担っていた。

彼は鬼を操ることができた。
小説や漫画のネタと切り捨てることができない実在の人物だった。

歴史の動画を見てきた中で最も非現実的でよく分からない人物だった。

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一神教でない世界での、霊的現象あるいは自然現象も陰陽師なる者が制御しようと試みる。

それはそれで一定の効果効用があるのだろうが、
神無き世界の地獄絵図とも言える。

が、良い悪いではない。それが文化であり、
日本のオリジナリティーとしての貴重な財産となった。
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BS歴史館 : 安倍晴明 / 平安京の闇のヒーロー  投稿者 maidoarigato3

その時歴史が動いた  乱世に祈りを 〜蓮如(れんにょ)・理想郷の建設〜 [映像]

(2007日)蓮如の足跡を追う。現在の教団の礎を築いた「本願寺中興の祖」と呼ばれているらしく、行く先々で話をすれば信者が膨れ上がったようだ。

そこには工夫があり、信徒にもお経を唱えさせる。
信徒間で食事やミーティングを積極的にさせる等、当時としては画期的な手法を展開した。

信者数を膨らませたが、制御ができず、暴徒となり守護を追放するまでとなる。

そして、悲しみの中、京都に帰って「山科本願寺」という理想郷を作り
50年の平和を保ったそうだ。
彼は立派な言葉を残した。

「一宗の繁昌と申すは
人の多く集まり
威の大いなることにてはなく候

一人なりとも 人の信をとるか
一宗の繁昌に候」


感動し、彼の功績を追う。
ネットで検索するや、妻子の多さに、さらに「感動」する。

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景教の『世尊布施論』という書物を親鸞が学び、真宗に影響を与えたようだ。
「信仰義認」日本版の「南無阿弥陀仏」さえ唱えればいいというのも斬新だった。

が、一夫一婦制なぞは笑い飛ばしていたのだろう。
功罪あろうが、妻帯不可の空間こそ純度の高い理論が発展したのだと思いますね。
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英雄たちの選択 平民宰相 知られざる素顔~切り開け!協調外交への道 [映像]

(2015日)原は盛岡藩家老の子で賊軍から出発した。
番組では彼のプロフィールはかなり省略されているが、苦労人だった。
賊軍とはいえ家老の優秀な子の歩む道かと驚く。
紆余曲折を経、外務次官、そして政友会に入る。

政党政治家初の総理となり、アメリカ協調路線を採用する。
番組では、シベリアへ出した兵を引くかどうかが問題となった。

帝国憲法で参謀本部が天皇の下にあり、政府と並立していたが、
山県有朋と一戦交えることなく解決させた。

選挙で選ばれた議員が総理となり軍を抑えた最初の選択だった。

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彼はカトリックで、費用がかからないということでカトリック神学校に通った。
翌年に洗礼を受けたが、彼の本心は分からない。

時折、民族系の連中がクリスチャンになったふりをして
諜報を行うという文脈を口にすることを聞く。

本心からでなく洗礼を受ければ、それは神さまを欺くことになる。
必ず、何らかの罰がある。それが原の暗殺なのかもしれない。
違うかもしれないが、簡単に考えてはいけない。


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eたち平民宰相 原敬 切り開け協調外交への道20150506 投稿者 okura1919ppp

その時歴史が動いた 日本人の心を守れ 〜岡倉天心・廃仏毀釈からの復興〜 [映像]

(2008日)岡倉が東大卒業後文部省に勤務し、17の時、フェノロサを奈良に案内。
明治初年の神仏分離令により起こった廃仏毀釈で破壊された仏像を見て心を痛めた。

これが彼の原点となり、欧化政策の逆風の中で文化財保護を主張する。

壊れた仏像等を修復するには、法律を作らなければならない。
彼はフェノロサと組み伊藤博文を洗脳し、「文化財保護法」を作った。

が、1898年校長を務めていた東京美術学校を排斥されたため、
日本美術院を発足させ、仏像の修理をはじめた。

彼の修理方法は、「現状維持法」であり画期的だった。
美術的価値と宗教的価値のある仏像の修理に際して細心の注意を払った
日本人の伝統と精神に対する極めて謙虚な修理法だった。

かつて彼が無残な仏像を目にして言った、「鬼や霊が泣いている」という言葉は、
重い言葉だった。

美術を志す人なら17歳位でのマストな内容なのかもしれません。

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天心が7歳の時に学んだ英語塾は、オランダ改革派宣教師のアメリカ人ジェームズ・バラだった。
バラは後に日本初のプロテスタント教会、日本基督公会の牧師となる。

バラ夫妻は英語塾ではキリスト教の話はしなかったそうだ。
日本人で初めてプロテスタントとなった矢野隆山から日本語を学びヨハネ福音書の和訳を行った。

そのような横浜の最先端の英語塾で学びながらも、天心は仏像修復に情熱を注いだ。

単純に「偶像」の是非で語れない、超1流の人物でした。

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(写真-wiki)
その時歴史が動いた 第324回 日本人の心を守れ 〜岡倉天心・廃仏毀釈からの復興〜
http://kr.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=88140&prgid=34198808&categid=32037854&page=1&ref=ch&lot=cthum2_1_1

その時歴史が動いた マザー・テレサ - 平和に捧げた生涯 [映像]

(2008日)1910年、アルバニアのカトリック家庭に生まれる。
9歳の時、父が殺され、毎日のように教会に通うようになった。
18で修道女としてインドに向かう決意をした。

その後、彼女は宗派関係なく人は尊厳を持って死ぬべきだと考え、
「死を待つ人々の家」というホスピスを開始した。
1979年にノーベル平和賞受賞。

彼女の伝記作品ははじめてではないが、
久しぶりに足跡を簡単に追った映像を観たが、
一人の修道女の献身に、頭を殴られたような余韻が残りました。
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http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?c1=01&ch_userid=fx_keaton&prgid=33863115&ref=google
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プロテスタントにとって全てのクリスチャンが聖徒であり、
聖人崇敬は否定されている。

が、マザーテレサが聖人かどうかは無関係に
彼女の歩みに敬意以上のものを抱くことを否定はできない。
(信仰や崇拝ではない。)

よって、マリア崇敬や聖人崇敬をもって
キリスト教は多神教なのだという批判は愚であるのは言うまでもない。
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タイムスクープハンター 女たちの会津戦争 [映像]

(2013日)大河ドラマ『八重の桜』は見ていたが、同時期のコラボだったそうだ。
大河は新島八重の主人公視点で、タイムスクープハンターは名もなき人々の視点で撮影する。

会津籠城戦での女性たちの戦いを描く。
籠城する女性子どもは5000人。新政府軍は1日に1000発以上の銃撃・砲撃を繰り返す。

女性たちは飛んできた砲弾の火薬の消火作業にあたる。
失敗すれば死を意味した。

そのような地獄絵図の中で、会津の子どもたちは凧を上げた。
それを見た大人たちは「まだ、戦える」と気を持ち直した。

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八重83歳の写真だが(wikiより)、左が救世軍米国司令官の娘で、
右が山本軍平日本司令官だが、堂々とした貫禄で笑ってしまった。

新島襄がアメリカの友人に「彼女の生き方はハンサムなのです」と手紙に書いたそうだが会津魂からプロテスタントとなった流れに「さもありなん」と首肯してしまいますね。

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1868年・女たちの 会津戦争・タイムスクープハンター 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus

歴史秘話ヒストリア 【あなたの知らない信長の素顔~太田牛一】 [映像]

(2013日)『信長公記』の著者の太田牛一の一代記。
彼は、弓に秀で信長の側で勤めることとなった。かつ「メモ魔」だったので、
日頃の信長の様子を日記に残していたので、歴史的価値が生じる。

この番組では、いくつかの信長の意外なエピソードの紹介と、
太田の軌跡を追う。

彼は「本能寺」には居なかったが、後に生存者への聞き取り取材を行った。
侍女から聞いた信長の最後の言葉や、太田の業績とその動機を考えると、
胸が熱くなり太田に感謝しました。
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この番組ではキリスト教に触れなかったが、
信長の性格が分かり、異教であろうが大胆に吸収したいという豪胆な面が分かる。
時間があればご覧ください。
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歴史秘話ヒストリア 【あなたの知らない信長の素顔... 投稿者 DinorahLon

その時歴史が動いた キリシタン女性 関ヶ原合戦を揺るがす 〜細川ガラシャの悲劇〜 [映像]

(2001日)小学生でも知ってるらしい細川ガラシャの生涯を追う。

細川忠興の正室に入ったガラシャだったが玉(タマ)だったが、
父明智光秀が1982年6月に信長を討ったため、謀反人の娘となり状況が一変する。

軟禁状態であり、彼女はキリスト教に光を見つけることができた。
が、「関ケ原」の際に石田三成の人質となるのを拒み、下の者に刺してもらう。
離れていた夫は手厚く葬った。

大阪カテドラル聖マリア大聖堂の壁画に描かれているが、
私はちょくちょく礼拝に通っていたので人一倍感慨深かった。

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洗礼に至る経緯が涙ぐましかった。
外出の自由がなかったが隙をみて教会に駆け込む。
そのたった1回の礼拝から、彼女は洗礼までに至った。

私は教会に通う自由はあったが、涙ぐましい状況だった。
彼女を特に慕っている上記の教会に私は20回以上は通った。
(20分と近くて私には誰も話しかけてこないという消極的理由だったが)

洗礼に至る経緯は人それぞれだろう。
また死に方も様々だろう。

こういうのに宗派や教派は全く関係ないですね。

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キリシタン・細川ガラシャの生涯 / その時歴史が動... 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus

その時歴史が動いた 岩倉使節団 世界一周の旅 〜明治日本・西洋と出会う〜 [映像]

明治4年(1871)12月23日出発。
アメリカで歓迎を受け、条約改正交渉に臨むも、時間を費やし徒労に終わる。
そこから渡欧しイギリス、フランス、ベルギー、ドイツと視察し、
各々の歴史と現状を学び、日本の未来を見据え選択的に導入しようとする。

彼らが帰国した明治6年(1873)9月13日、歴史が動いた。

最後に、この使節団の留学生の顔写真が流されるが、
そこに井上毅がいた。
が明治5年9月に横浜から渡欧した8名の西欧使節団のようだ。

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この番組では一切、宗教に関して扱われていない。

明治2年にカトリック宣教師のフルベッキが使節団派遣の意見書を出したことから始まった。

そして、これだけの大所帯での長期の海外旅行の費用の出所は海外資本のようだが、
それも扱われていない。

また、「信教の自由」が各地で求められ、それが明治6年の解禁に繋がることも触れられない。

表層的に見えるが、大衆向け教養番組なのでしょう。
が、この番組をブログに書いて喜んでも別にかまわないでしょう。

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その時歴史が動いた 戦国をひらいた男 〜北条早雲 56才からの挑戦〜 [映像]

(2005日)戦国時代の端緒を開いた早雲の1代記。

早雲は禅宗に入り修行し、56歳にて伊豆でデビューした。
少数の手勢で奇襲を仕掛け、奪取する。小田原城も手に入れる。

若い頃の応仁の乱の地獄絵図の経験から、彼は善政を行う。
一般的な五公五民ではなく四公六民を採用する。

が、民から喜ばれたものの、敵勢力は一族僧侶含めて皆殺しにしたようだ。

細かい史実はよく分からないが、人生50年時代の晩年の狂い咲きは見事としか言えない。
怪老人でした。

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私はここ数年、神さま(GOD)は、例外的にキリスト教徒以外にも神霊を注がれることがあると考えている。

↓に書いた諸団体の教祖にも少なくなく注がれているのではないかと考える。
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2016-01-20

本来はイエスをキリストとされたが、同時に世界各地にも目配りはされていた。

こういう北条早雲のような男もその1人ではないかと思う。
内政で善政を行い、敵ならば仏教僧をも皆殺しにした。
それが地獄に落ちず許されると判断できた。どう考えても「神っている」

彼の「王国」は日本社会にあって独特の独立勢力だった。

宗教やキリスト教とは無関係の番組ではあるが、勝手に想像を廻らすのは面白い。

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http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2016-11-23