SSブログ

Ave Maria & Requiem 1 (Tomás Luis de Victoria 曲) [聖歌・讃美歌等]

(2012日)

トマス・ルイス・デ・ビクトリア


この家族は最高です。





Victoria Requiem 1,Introitum[Tallis scholars]

美しいです。今夜は熟睡です。明日起きれるか心配です。


nice!(0)  コメント(0) 

カッチーニのアヴェ・マリア  〜ピアノ(ソロ) 上級〜 [聖歌・讃美歌等]

(2013日)

7回目。


躍動的なアレンジ、弾みます。


nice!(0)  コメント(0) 

「世は眠らせキリストは奮い立たせる」第2ペテロ1章2節3節&12節13節 [雲の柱・火の柱]

(2019日)

キリストを知り続けようとすること、この少しの意思で、
少しの行動となる。

命と敬虔を与えられるとのことですが、
私の命があることや、随分と丸くなったことも考えると、
確かにその通りだと思えてきます。

自分で言いますが、随分と敬虔になったと思いますね。




----memo


神の黙認を得て 悪魔悪霊が
眠らせる惑わし

背教の時代

キリストを知り続けると
命と敬虔を与えられる

愛の行いをしなさい   ひたすら行え と言っているわけではない



ペテロが語り掛けている
  彼らの心を奮い立たせる
   ディゲイロ  眠りから覚めるという意味もある

眠ったcが多い

眠った信仰
 悪い僕の話 主人の物を隠して放置する
   主との関係を放置状態にする



nice!(0)  コメント(0) 

自分を深く知るために(21) - 必然の出会い [Ecclesia Catholica]

(2019)

偶然のようなことが重なり、現在がある。

が、それが必然だったと思えてくるが、
神さまが、母の胎内にいた時から現在のことも分かっておられたのならば、
それは自分の自由意志なのだろうか、と考えさせられる。
自由意志のつもりが、聖霊様のコントロール下なのやもしれません。

神さまの「命の書」に私たちクリスチャンは書かれていたのでしょうが、
予定説を採用しないのならば、どう考えたらいいのか、
すっきりしないまま日を過ごしています。




----memo

雪の下教会

神父さん ノーサンキューで喜ばれた

宗教心はあった それがカトリックに

詩編139に


nice!(0)  コメント(0) 

Caccini Ave Maria & 川西宏明「平家物語」より冒頭文 by 本岩孝之 [聖歌・讃美歌等]

(2009)


6回目。

カウンターテナーの本岩孝之氏だが、バスから4オクターブ可能だと言う。
スラヴァもいいのですが、別ですね。






『平家物語』の冒頭分ですが、アメイジングでした。



nice!(0)  コメント(0) 

Ave Maria - caccini [聖歌・讃美歌等]

(2009)

5回目

スラヴァ (歌手)

カウンターテナー 素晴らしいです。
心に染みます。



nice!(0)  コメント(0) 

Ave Maria Arcadelt [聖歌・讃美歌等]

(2007)


2回目

ソプラノ強いですね。



nice!(0)  コメント(0) 

Heyr Himna Smiður [聖歌・讃美歌等]

(2016)

アイスランドの讃美歌 「聞け天の鍛冶屋たちよ」

Árstíðir がドイツの某駅で歌ったこの曲から10回目となりました。



Anneke van Giersbergen がメインで歌うのも圧倒的です。



nice!(0)  コメント(0) 

WMF-15-001 You Raise Me Up(フルート・ソロ) [聖歌・讃美歌等]

(2015)

3回目、
恐らく、風邪で疲れていましたが、少し元気が回復しました。
ありがとう。


nice!(0)  コメント(0) 

「神の忍耐とキリスト者のうめき」詩篇2篇1節から6節 [雲の柱・火の柱]

(2019)

教会時代が携挙で終わり、神の怒りの時代となるとのこと。
怒りの暴風雨で恐怖を伴った覚醒で多くの人が目覚めるとのことでした。

今回は、「私の恐怖」を書くことにします。悪夢が頻回で滅入ってました。

私は、神への恐怖に怯えながら教会に通ってました。
「神さまは優しい愛に満ちた方」と語る牧師に元気を頂いた気になり、
洗礼をお願いし数回洗礼前の講座を受けたこともありましたが、
私の話に鼻で笑うが如く流したので去った教会もありました。

なのに、ラインで友達申請してきたので、追加しましたが、
数週間で切ってきたことがありました。おちょくってきたのでしょう。

にもかかわらず、私のブログを見ながらtwitterを毎日書いているようであり、
自分の非を認めず、どこまで偉そうな牧師なのかと、呆れます。

日本基督教団大阪のぞき教会(仮称)とは別の教会でした。

その後に洗礼を受けた教会では、神さまへの恐怖に震えてましたので、
礼拝や奉仕、勉強会、壮年会、イベントにも欠かさず通ってました。
そしたら、なめられ、クリスマス前かの大掃除で、
指揮する人間に上から目線で掃除する場所を指で「あっちをやれ」という感じで
半笑いで指示されたのには、驚きましたね。
名刺を渡して謙虚に「気づいたこと教えて下さい」と言った結果がこれでした。

この頃まで、恐怖に震えていました。

が、この教団を去った日以降は、逆で、
私に去るべき教団で受洗させ、クリスチャンとしての経験をさせるという、
神さまからの深い愛だったのだと理解することができました。

恐怖に縮こまることは無くなりましたね。




----memo

神の忍耐が終わろうとしている 怒りへ

自分の忍耐は、神の計画の上に乗っかっていると 


反キリスト イスラエルと契約 7年


再臨 瞬間の出来事

怒りの暴風雨 で 多くの人は目覚めるが、
恐怖を伴った覚醒 

鼻で息をする人間 を頼りにするな 反キリスト


ロマ書8 18-26

自分の呻きが、祈りで、神の呻きへ


nice!(0)  コメント(0)