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第67篇 [詩篇]

第67篇は7節の短い詩である。
よって全文を5訳読んだ。


1-NIV
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May God be gracious to us and bless us
and make his face shine on us
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JLB
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ああ神よ。
私たちをあわれんで祝福してください。
私たちをごらんになるとき、
あなたの御顔が喜びにほころびますように。
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新共同
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神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように----

口語訳
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どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。
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文語訳
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ねがはくは神われらをあはれみ われらをさきはひてその聖顔をわれらのうへに照したまはんことを
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訳者によって微妙に違いますね。
JLBがやはり違いますね。文語はやや硬く「聖顔」としている。


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第66篇 [詩篇]

背く者に対してのメッセージでもあるのでしょう。


7 NIV-JLB
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He rules forever by his power,
his eyes watch the nations—
let not the rebellious rise up against him.
神は、偉大な力で永久に支配し、
国々の動静を監視なさるお方です。
謀反を謀る国々は、高慢の鼻をくじかれます。
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新共同訳
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神はとこしえに力強く支配し
御目は国々を見渡す。背く者は驕ることを許されない。
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TCUオンライン講座「宇宙の目的」第4回(東京基督教大学 稲垣久和教授) [講義-神学等]

(2016日)賀川豊彦の言う「超越的根本実在」には仏や儒教の天も含んでいた。
そして友愛と連帯の社会を目指していた。

全4回、さわりだけでしたが、さらに賀川を知りたくなりました。




----memo

神道

6世紀 大陸 仏教儒教

16世紀 キリシタン


戦後 賀川 『東洋思想の再吟味』

1 超越的根本実在 仏教も 儒教の天も含めている
1 有限者に対して過去の悪を贖罪愛で修繕 
  世界連邦構想

宗教の役割
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第65篇 [詩篇]

罪を赦す権威は神にある。


3 NIV-JLB
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When we were overwhelmed by sins,
you forgave our transgressions.
たとえ私の心が罪に占領されていようと、
あなたはすべての罪を赦してくださいます。
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新共同訳
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罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを あなたは贖ってくださいます。
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罪悪感がある間にGod に罪を忘れていただければよいが、
Godに向かわずに罪悪感を失い、自分の罪を忘れてしまうと、
人間性の放棄となり動物となる。
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第63篇~第64篇 [詩篇]


64-7 NIV 8 新共同訳
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But God will shoot them with his arrows;
they will suddenly be struck down.
神は彼らに矢を射かけ 突然、彼らは討たれるでしょう。
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神さまは、悪人には突然討たれる。
そこに警告は必要ない。



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第59篇~第62篇 [詩篇]

第62篇はダビデの詩となっている。
ダビデだとする確証がなくともかなりダビデの心情に迫っている人の詩のようだ。
神への信頼を教えている。


62 11-12 NIV 12-13 新共同訳
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One thing God has spoken,
two things I have heard:
“Power belongs to you, God,
and with you, Lord, is unfailing love”;
and, “You reward everyone
according to what they have done.”

ひとつのことを神は語り
ふたつのことをわたしは聞いた
力は神のものであり
慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と
ひとりひとりに、その業に従って
あなたは人間に報いをお与えになる、と。
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「ひとつ」「ふたつ」は「何度も」の意だそうだ。(黒崎註解)


力も慈しみも神のもの、とある。

力の信奉者は、神から離れている。
神から離れた力は、全能でなくなるということになる。
当然に、力の信奉者は神に勝てない。

慈しみが神のものであるからこそ、
地球上にまだ正義と良心が残っているのでしょう。
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第55篇~第58篇 [詩篇]

第58篇は稀に見る表現の激しい詩だった。

呪いの表現がきつい。


58-10 NIV-JLB
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The righteous will be glad when they are avenged,
when they dip their feet in the blood of the wicked.
神を敬う人は、ついには正義が勝つのを見て喜び、
殺された悪者どもの血のしたたる野原を歩きます。
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新共同訳
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神に従う人はこの報復を見て喜び 神に逆らう者の血で足を洗うであろう。
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第58篇は悪魔の呪詛にも思えるが、

神に従う人の側でも、こういう生々しい表現が可能である。
が、「血で足を洗う」というのは文学的な表現のことであって、
実際に報復し、敵の死体が目の前にあろうが、
その血を容器に入れて足を洗うことはしないでしょう。
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第53篇~第54篇 [詩篇]

ジフ人がサウルに垂れ込み、ピンチになったダビデの詩

敵を滅ぼしてくださいと願う。


54-5 NIV-JLB
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Let evil recoil on those who slander me;
in your faithfulness destroy them.
敵の悪らつな仕打ちは、その頭上に戻って来ます。
ああ神よ。お約束どおりに事を運び、
悪人どもの息の根を止めてください。
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新共同訳
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わたしを陥れようとする者に災いを報い あなたのまことに従って 彼らを絶やしてください。
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文語訳
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主はわが仇にそのあしきことの報をなしたまはん 願はくはなんぢの眞實によりて彼等をほろぼしたまへ
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やはり、願い事は、文語訳がいいですね。
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第51篇~第52章 [詩篇]

51-17 NIV 19新共同訳
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My sacrifice, O God, is[b] a broken spirit;
a broken and contrite heart
you, God, will not despise.
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
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原則的には人身御供だが、命まで取らず砕かれればいいとしている。、


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TCUオンライン講座「宇宙の目的」第3回(東京基督教大学 稲垣久和教授) [講義-神学等]

(2016日)ハビアンという人の紹介があった。
wikiによると、1606年に黒田官兵衛の3回忌法要で説教をしているが、
その2年後に女学生と脱会している。
また、1619年に秀忠と面会している。

これは、マズイですね。神さまはお許しにならないですね。
地獄の中での扱いに幅があるなら、最悪の部類でしょう。



----memo

和魂

6世紀 仏教 儒教 知識人の学問の中心

それまで神道

16世紀 キリシタン

仏教12c 発展 一般人へ 鎌倉仏教


浄土宗の大仏  阿弥陀如来像

仏教の2つ 仏像系 禅系

イルマン=修道士 ハビアン改宗、が20年後転向 また攻撃

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