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「神とキリスト者のビジョン」創世記1章1節 [雲の柱・火の柱]

(2015日)

創世記の1章1節に深い意味があった。
「はじめに」の段階で、完成形が予想されていた。
エペソ書では創造の前から想像されていたと記される。

私たちは自分のビジョンを謙虚に神さまに差し出し、
神さまのご計画に組み入れて下さるよう、祈ることなのでしょう。




----memo


「はじめに」 ヘブル語 完成の予想図がお心にある

神の予想の想像の中に私たちがいる

完成形 エペソ 創造の前から想像されていた

マタイ14 ペテロが湖 

肉は見えるところを見ようとするのでキリストの訪れが見えない

ペテロは湖を歩いたが、
ビジョンを与えられたと思っても、一旦神さまに差し出す
もう一度、お声を聴く
神と共に神を見つめながらキリストと共にこの地上を歩く

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