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第16章 1-50  殺したんだろ [民数記]

第15章までは、以前、聖書研究会で読んでいました。
当時は、英文は新約だけでいいと思っていましたが、
15章までの英文も書きませんが読みます。
創世記の第1章も英文は無しですが、後で読みました。

ということで、第16章より民数記を再開いたします。


今回は、主の人事に対して、不満の怒りを明らかにした罰で、
死罪が与えられた話。

忘恩の連中は、これまで散々助けられたのにもかかわらず、
モーセやアロンが上に立つことも拒否しだした。

死人が出る。約300人。
地が割れて落ちた者と火で死んだ者、

それを見ていた他の群集が言った。

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But on the next day all the congregation of the children of Israel murmured against Moses and against Aaron, saying, "You have killed Yahweh's people!"
その翌日、イスラエルの人々の会衆は、みなモーセとアロンとにつぶやいて言った、「あなたがたは主の民を殺しました」。
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この一言で、疫病が与えられ、14700人が死んだ。


「あなたたちが殺したのよ」

ドラマでもよくあるセリフだが、
「そうかもしれない」と同意してくれるとは限らない。

第15章 1-41 故意と過失の罪と罰 [民数記]

1-21節は、細かい捧げ物についての規定。

22-36節は、過失と故意の罪の違いを書いている。

過失は、儀式で赦されることになっているが、
故意は、死罪。

安息日に薪を拾っただけで死罪となる。

後に、イエスが安息日に治療を施したことを非難される。
問答無用だったのをイエスは言葉で押し通した。


ちなみに民法709条は、
「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」

と表面上は同等になっている。


現代はともかく、紀元前サバイバル時代に神の言葉に故意に逆らう者は死罪というのは、
民族の存亡にかかわる以上、止むを得ないとはいえ酷ですね。

第14章 1-45 「40年苦しめ」という罰 [民数記]

宿営地へと帰ってきた偵察隊のうち、カナン攻撃に消極的な者たちは、
民に「敵が強く攻撃は無理」だと言いふらし、モーセに不満をぶつける。

「エジプトに帰ろう」とまで言う。

ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは共同体全体に、

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もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。
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というが、民は恐怖に支配されているので、「彼らを殺せ」とまで言う。


それに対して神は激怒する。

その罰として、ヨシュアとカレブ以外の偵察隊は疫病死を与えられる。
また、40年間流浪の民となることと、現在20歳以上の者が死に絶えた後という条件で、カナン入りが約束されることとなる。

これに恐れをなした民は、あわててカナン攻撃に向かうが時すでに遅し。

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主があなたたちのうちにおられないのだから、上って行ってはいけない。
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とモーセは言うが、流浪を命じられた者たちは死を承知で突撃したのだろう。
若者たちに40年間我慢させなければならなくしたことがそうさせたのでしょう。


偵察隊の10人の死では済まず、民全体へも罰を与える。

この章のモーセも泣くに泣けず、「いっそ殺してくれ」と思ったのでしょう。

第13章 1-33 偵察にて、びびる [民数記]

カナンの土地を12部族の中から各1名が偵察に向かう。

偵察のポイントは
①住民が強いか弱いか
②人数が多いか少ないか
③住む土地が良いか悪いか
④町の様子 天幕や城壁の有無
⑤土地が肥沃か 木が茂っているか

山に登って観察し、証拠として葡萄・ざくろ・いちじくを持ち帰る。


40日後に帰った者たちはモーセに報告する。

常識的判断では勝てないと多くは言う。

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しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。
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しかし、ユダ族のカレブは、勝利を確信する。

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カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」
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多くの部族が偵察した情報を民に知らせ、民は動揺する。
次章は、このことで神の逆鱗に触れたことが記される。


30節でのカレブは、物理的な次元と更に高次元の判断も加味しているのだろう。
大河ドラマの官兵衛のように純粋に空気を感じるごとく判断しているのかもしれない。

第12章 1-16 兄弟間の嫉妬 [民数記]

弟のモーセが神と会話することができるのを、兄アロンと姉ミリアムは面白くない。

2人が愚痴を言っていたのを聞いた神が、ミリアムに罰としてハンセン病を与える。
モーセが神に許しを請うて7日で治ることとなる。
その間は宿営の外で過ごさなくてはならない。

前章でも書いたが、口は災いの元どころではない。
モーセのおかげで7日で済んだものの、とんでもない罰だ。

他人を羨むなかれということだが、なかなかできるものではない。
アロンやミリアムの感情も人間らしいのだが、神の視点では断罪が適当なのだろう。

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その時モーセは主に呼ばわって言った、「ああ、神よ、どうぞ彼女をいやしてください」。
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モーセは姉のために神に請う。
自分の姉に病気を与えた神に対して、それでも忠実であらなねばならない。
モーセにとったら前章に続き、「やってられん」であり泣きたいだろう。

第11章 1-35 貪欲は死罪 [民数記]

モーセ率いる60万の集団は、毎日、「マナ」を神から与えられ食していた。
しかし、飽きてしまい「肉がほしい」といい、あげくに「エジプトの方がよかった」とも人々は口にする。

こういう不満を聞いたモーセもやってられなくなり神に愚痴る。
「殺してください」とまで言う。


神はモーセの愚痴は許したが、民へは大量のうずらを運んできてやり、
民を喜ばして腹を満たせたが、疫病を起こさせ多くの民を殺してしまう。

よってその場所は「キブロテ・ハッタワ」=「貪欲の墓」と呼ばれることとなる。

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その肉がなお、彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。
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歯の間にあるなど具体的な描写には笑ってしまいますが、


この時代、口は災いの元どころではありませんね。

第10章 1-36 ラッパの規則とシナイ出発 [民数記]

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「銀のラッパを二本つくりなさい。すなわち、打物造りとし、それで会衆を呼び集め、また宿営を進ませなさい。
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主がラッパを2本と言った以上、1本でも3本以上でも駄目で、
また、一般人の楽器にしてもならないのでしょう。

2つ吹く時は、全員集合。
1つの時は、族長の集合。
警報(短く吹くようだ)の時は東の宿営は進め。

と言うように、他は知らないが民数記は細則が記されている。


<出発>

いよいよ、エジプト脱出の翌年2月20日、シナイの荒野を出発する。

順番は第2章に記された通りだが、

先鋒の東の宿営のユダ・イッサカル・ゼブルン族の後に、
レビ人のゲルション族とメラリ族が、幕屋一式を運ぶ。
その後に、南のルベン・シメオン・ガド族となり、
レビ人コハテ族が祭具を運ぶという順番になり、コハテが着く頃には、
ゲルション・メラリ族が幕屋を建て終わっているとタイミングが計算されている。

この章には書かれていないが、どうも「契約の箱」を先頭として進むようだ。

いきなり敵が来襲し「契約の箱」を奪われたら致命的だろうが、
そもそもヨソ者にとって意味をなさない物だから心配無用なのかもしれない。

第9章 1-23 過越祭と不思議な雲 [民数記]

この章は「過越祭」と「不思議な雲」の話であって2つに関連はない。


1月14日の夕方に祭りとなる。1日から12日まで部族長が順番に奉納するようだ。
祭壇は1つということなので量は少ないのだろう。
祭司任職式が7日間あるようで並行して行われるらしい。


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しかし、その身は清く、旅に出てもいないのに、過越の祭を行わないときは、その人は民のうちから断たれるであろう。このような人は、定めの時に主の供え物をささげないゆえ、その罪を負わなければならない。
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不幸で死体に触れた者は2月14日に儀式を行うようだが、
1月14日に理由もなくの不参加は罪になる。
現代の都会の感覚ではなく、神と祭りが不可分で共同体の連帯感は存亡にかかわる以上、当然なのだろう。


イスラエルの民はカナンまでの移動を雲に合わせていたようだ。

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ふつかでも、一か月でも、あるいはそれ以上でも、幕屋の上に、雲がとどまっている間は、イスラエルの人々は宿営していて、道に進まなかったが、それがのぼると道に進んだ。---

と書いているもののそういうことはないだろうから、
そう一箇所に留まることはないように思うのですが。

第8章 1-26 聖所の光 [民数記]

1~4節で7つのロウソクを付けることができるメノーラに火を通せとモーセが言っているが、当時は祭司しかメノーラを見ることができなかったため本当の形は分からないようだ。

大事なのは神と人とが交わる場であり、自然光の入らない聖所の燭台の光は特別の意味を持っているというこのようである。

確かに、普通の場所での暗闇の中での光さえ精神の安定に影響を与える。
ましてや聖所の光は、聖なる想念に不可欠なのだろう。と想像する。



5節からは、レビ人の聖別が記される。
全イスラエルの初子の犠牲の代りにレビ人が神に仕える。
儀式は、そのレビ人の代りに雄牛がささげられる。

第7章 1-89 聖なる物 [民数記]

この章は89節と長く、供え物の細かい話が多いので読みづらい。

1節では幕屋を建て終えた後、幕屋・器・祭壇すべてに油を注いで聖別する。
神の所有物として特別に扱うことを意味するようだ。

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モーセが幕屋を建て終り、これに油を注いで聖別し、またそのすべての器、およびその祭壇と、そのすべての器に油を注いで、これを聖別した日に、
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2節から供え物の話になる。供えられた運搬目的の車両や牛は、ゲルション族とメラリ族には与えられるが、コハテ族は与えられない。
聖なる物は人が運ぶこととされているようだ。

後にダビデがこのことを知らず「契約の箱」を牛車で運んでいたところ、
トラブルで落ちたようだ。それを守ろうとしたウザが手に触れて
神の怒りで死んでしまったそうだ。

ダビデの責であろうが、ウザが殺されても仕方のない領域なのだろう。