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第21章 1-15 聖職者への嘘 [サムエル記上]

ダビデはサウルから逃げ、ノブの祭司アヒメレクを訪ねた。

当然、祭司は用を伺った。

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David said to Ahimelech the priest, "The king has commanded me a business, and has said to me, 'Let no man know anything of the business about which I send you, and what I have commanded you; and I have appointed the young men to such and such a place.'
ダビデは祭司アヒメレクに言った、「王がわたしに一つの事を命じて、『わたしがおまえをつかわしてさせる事、またわたしが命じたことについては、何をも人に知らせてはならない』と言われました。そこでわたしは、ある場所に若者たちを待たせてあります。
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ダビデは祭司に嘘を言った。

本当のことを言えば、この祭司は反逆罪となる。
しかも、パンや武器も貰えないかもしれない。

神は形ではなく動機を見るので、
この件でお咎めはないと思いたいですね。

第20章 1-42 内村鑑三の「ヨナタン」 [サムエル記上]

サウル王はダビデを殺す意思を明確にした。

息子ヨナタンは、ダビデとの友情を優先し逃がした。共に泣いた。


ヨナタンの決意は尊い。

王家が変わった場合、前王の一族は皆殺しがあたり前だったようだ。
ダビデが武勇に優れ、主の恵みも得ていることを知っていたので、
ダビデが王となった場合、自分も殺されかねない。

仮に自分とダビデとの友情があっても、子ども、孫、子孫の世代で
敵対するかもしれない。

そういう危険がありながら、ヨナタンはダビデと誓い逃がした。

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Jonathan said to David, "Go in peace, because we have both sworn in the name of Yahweh, saying, 'Yahweh shall be between me and you, and between my seed and your seed, forever.'" He arose and departed; and Jonathan went into the city.
その時ヨナタンはダビデに言った、「無事に行きなさい。われわれふたりは、『主が常にわたしとあなたの間におられ、また、わたしの子孫とあなたの子孫の間におられる』と言って、主の名をさして誓ったのです」。こうしてダビデは立ち去り、ヨナタンは町にはいった。
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美しい友情である。

内村鑑三はここに、洗礼名「ヨナタン」を授かることとなった。

「ヨナタン」は、そういないでしょうね。

第19章 1-24 サウル王のご乱心 [サムエル記上]

サウルは嫉妬と怒りに乱れた。
ついに、ダビデを殺そうとする。

ダビデはサムエルに助けを求めた。

サウルは追手を何度か送るが、彼らが預言しだしたとある。
シビレを切らしたサウルは自ら向かった。

しかし、

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He also stripped off his clothes, and he also prophesied before Samuel, and lay down naked all that day and all that night. Therefore they say, "Is Saul also among the prophets?"
そして彼もまた着物を脱いで、同じようにサムエルの前で預言し、一日一夜、裸で倒れ伏していた。人々が「サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」というのはこのためである。
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ここではダビデに対する神の防御が記されている。
ある特定の場所で不思議な現象が起るということはあるでしょう。

集団で踊る宗教も神が送った霊の現象だろう。
この24節は読み手の受け取り方が極端に割れるでしょうね。

第18章 1-30 嫉妬と恐れの本質 [サムエル記上]

サウルはダビデを恐れた。

ダビデの功績が大きく、誰もが彼を愛するからだ。
義経を警戒した頼朝もそうだった。

大河の頼朝(中井貴一)は冷静で嫉妬で取り乱すことはなかったが。


サウルの息子ヨナタンはダビデと友情を保とうとした。

まだヨナタンのことは分からないが、
内村鑑三が洗礼名を「ヨナタン」にした理由が思い出せない。

メソジストのハリスから札幌農学校で洗礼を受けたようだが、
洗礼名はプロテスタントは無いと思っていました。


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Saul was afraid of David, because Yahweh was with him, and was departed from Saul.
主がサウルを離れて、ダビデと共におられたので、サウルはダビデを恐れた。
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嫉妬や恐れの本質は、神が共にいてくださるかどうかにかかる。
私も嫉妬や恐れを抱く時もあるが、ダビデにはそれが感じられない。

ダビデは聖霊に満たされていて、私はまだ満たされていないということだろう。


第17章 1-58 ゴリアテとの戦い もう一つの伝承 [サムエル記上]

ペシリテ人から巨人ゴリアテがタイマン勝負と叫んでいる。

皆はビビッたが、ダビデは挑んだ。


体格も武器も格段に劣っているが、それは問題とはならなかった。


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Then David said to the Philistine, "You come to me with a sword, and with a spear, and with a javelin: but I come to you in the name of Yahweh of Armies, the God of the armies of Israel, whom you have defied.
ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。
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「ゴリアテ」はラピュタで知ったが、この章で由来を読み熱くなる。

ドイツ軍も兵器に「ゴリアテ」と名づけたが、
負ける名前として確定してしまった。


さすがに洗礼名に「ゴリアテ」を選ぶ人はいないようだ。
ググッたのだが見つからない。


第16章 1-23  サウルとダビデの運命的出会い [サムエル記上]

第16章 1-23 


聖書を読んできて、歴史小説のように興奮したのは初めてですね。


サウルは神から離れ、神はダビデを選んだ。

サムエルがベツレヘムのエッサイの子を順に見ていくが主が違うと言われる。
最後に末っ子のダビデが来て、油が注がれた。


ダビデに主の油(聖霊)が注がれると、サウルには注がれない。
サウルは悪霊に悩まされ、それを癒すには琴の名手が要る。


その琴でのヒーリングの為にダビデが仕えることとなる。

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It happened, when the spirit from God was on Saul, that David took the harp, and played with his hand: so Saul was refreshed, and was well, and the evil spirit departed from him.
神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。
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サウルが主に背いたため悪霊に悩まされることとなった。

このことは他人事ではない。
これほど面白く、恐ろしい内容が3000年前から伝えられていること、そのものが神の計画そのものなのでしょう。

第15章 1-35 神が悔いる理由 [サムエル記上]


神が悔いた。

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"It grieves me that I have set up Saul to be king; for he is turned back from following me, and has not performed my commandments." Samuel was angry; and he cried to Yahweh all night.
「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」。サムエルは怒って、夜通し、主に呼ばわった。
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ノアの洪水の前にも悔いている。

創世記6:6
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Yahweh was sorry that he had made man on the earth, and it grieved him in his heart.
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
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ここから、神は万物を創るが、その後は自主判断に任せるということだろう。

では予測できなかったのか、ということだが、

「できるがしなかった。」と私は思う。


先読みの能力を使って未来を見通しても面白くないから、だろう。

それしか考えられない。

第14章 1-52 サウルのご乱心 [サムエル記上]

サウルはサムエルに出会った頃は、爽やかな好青年の印象だったが、
王になるや嫌な奴になっている。

兵力差がありすぎて、兵の逃亡を防ぐために祭司の真似事をやったり、
『きょう、食物を食べる者は、のろわれる』と預言者でもないのに言う。

それを聞いてなかった息子が破ったことを理由に死を与えようとする。

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Saul said, "God do so and more also; for you shall surely die, Jonathan."
サウルは言った、「神がわたしをいくえにも罰してくださるように。ヨナタンよ、あなたは必ず死ななければならない」。
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メチャメチャな話である。

王として相応しい人物と見込んだ預言者サムエルだった。
サウルと出会う前にヤーヴェがサムエルにサウルのことを伝えているので、
実際は、神がサウルを選んだに等しい。
しかし、神もその人物の先のことまでは「知らねぇな」ということでしょう。

第13章 1-23  サウル、やりすぎた神頼み [サムエル記上]

サウルは30で王の位に就いた。
3000の兵を2000が自分、1000を息子のヨナタンが統率する。
ヨナタンがペシリテの守備兵を倒し恨みを買い、大軍がやってきた。
その数

5
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戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。
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が、イスラエルはペシリテに鍛冶屋を禁止されていたので、
数も武器も劣勢で、さすがにイスラエル兵もビビッて逃げて600となった。


9
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Saul said, "Bring here the burnt offering to me, and the peace offerings." He offered the burnt offering.
そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。こうして彼は燔祭をささげた。
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ここでサウルがしたことは、兵を繋ぎ止めるためのパフォーマンスだった。
祭司でもないのに勝手に儀式をした。
これはサムエルを落胆させた。

人間が不利な局面を打開しようとする時、神頼みする。
それがいきすぎたのだろう。
気をつけなければなりません。

第12章 1-25 王権神授説とヤーヴェ [サムエル記上]

この章で、サムエルは王を求めた民衆に、「神を離れてはならぬ」旨を
念を押している。

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Now therefore see the king whom you have chosen, and whom you have asked for: and behold, Yahweh has set a king over you.
それゆえ、今あなたがたの選んだ王、あなたがたが求めた王を見なさい。主はあなたがたの上に王を立てられた。
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王権神授説を16世紀フランスでジャン・ボダンが唱えた。
その説を採用したのがイングランドのジェームズ1世やフランスのルイ14世。
この説が都合がよかったのは、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝という外の権威と
国内の貴族や封建領主への支配を強化するのに役立つからだった。

しかし、もともとは神は「仕方なし」に王制を認めたにすぎなかった。

が、神が認めた以上、民が無視していい存在とはならなず従わなければならなかった。
したがって、パウロも当然に王の権威を認めた。

ロマ書13:1
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1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
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